【靖国】A級戦犯分祀を靖国に要請意向<福岡県遺族連合会>★2at NEWSPLUS
【靖国】A級戦犯分祀を靖国に要請意向<福岡県遺族連合会>★2 - 暇つぶし2ch70:名無しさん@0新周年@転載は禁止
14/08/16 14:03:18.39 PYmMkgct0
 
天皇陛下はなぜ靖国神社親拝をされないのか

 昭和天皇は終戦の年の一九四五年十一月二十日に靖国神社を親拝(天皇の場合は
参拝ではなく親拝という)されています。この日に靖国神社では臨時大招魂祭が
行われました。GHQが国家神道の活動を禁じた「神道指令」を出したのは
十二月十五日ですから、その前に是非とも親拝しておきたいという天皇の
御心だったのでしょう。
 それから一九五二年まで親拝はありませんでした。GHQが禁じていたからです。
しかし一九五一年九月八日にサンフランシスコ講和条約が結ばれ(発効は
翌年四月二十八日)、日本の主権が回復したところですぐに親拝されました。
以後一九七五年まで、飛び飛びではありますが六回の親拝がありました。
それが七五年をもって途絶え、二度と親拝されることがありませんでした。
 これについては一九七八年にA級戦犯が合祀されたことが関係しているのは確かです。
巷説によれば靖国神社にA級戦犯が合祀されたことに、昭和天皇は「強い不快感」を
示され、親拝されないことを決心したということになっているようです。そのことが
二〇〇六年七月の日本経済新聞がスクープした「富田メモ」の内容として
報道されました。「富田メモ」というのは、元宮内庁長官の富田朝彦が昭和天皇の折々の
言葉などを書き留めたメモのことで、永らく家族が保管していました。
 メモには「A級戦犯が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが云々」といったことも
書かれてあり、外務大臣だった松岡洋右やイタリア大使だった白鳥敏夫などが
合祀されることにも不快感を示されたとされています。
 富田メモが本物かどうかとか、内容が正確かどうかはともかく、昭和天皇が
A級戦犯合祀後、靖国に親拝されなかったのは事実ですから、そのことが関係していると
考えても差し支えないでしょう。
 ただこれまでの報道を見ていると、まるで昭和天皇が戦争責任を負わされたA級戦犯の
人たちに不快感を示しているような論調であるのは、おそらく間違いです。昭和天皇は
ポツダム宣言受諾の御前会議で、「忠勇なる軍隊の降伏や武装解除は
忍び難いことであり、戦争責任者の処罰ということも、その人たちがみな忠誠を
尽くした人であると思うと耐え難いことだが、国民全体を救い、国家を
維持するためには、この忍び難いことも忍ばねばならないと思う」と語ったことが、
当時の内閣書記官長だった迫水久常の回顧録にも記されています。まして自分に代わって
処刑されていったA級戦犯者個人に不快感を示すなどということは考えられません。
 ではなぜ親拝を止められたのか。それはA級戦犯が合祀されたところへ自分が
詣ることによって、戦争に関係した近隣諸国、とくに中国や韓国と日本の関係が
悪化することを怖れての配慮からではなかったかと私は思います。自分の行動が何らかの
禍根を残すことになるとしたら、それは避けたほうがよいという判断です。平成天皇も
靖国には親拝されていませんが、それは昭和天皇のご意思を慮ってのことでしょう。
しかし、今日明日ではないにしても、いつの日か天皇の親拝は復活すると思います。

( 『この国を呪縛する歴史問題』 徳間書店 )
 


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