【国際】「日本軍は人肉食を行った」…インド人捕虜への残虐行為、印紙が報道★4at NEWSPLUS
【国際】「日本軍は人肉食を行った」…インド人捕虜への残虐行為、印紙が報道★4 - 暇つぶし2ch386:名無しさん@0新周年@転載は禁止
14/08/16 12:30:41.12 ZitcbtDF0
>>1
おそらく、これのことだね

URLリンク(ja.wikipedia.org)チルボン島事件
チルボン島事件(チルボンとうじけん)とは、太平洋戦争末期の1945年3月、
マーシャル諸島ミリ環礁のチルボン島(Chirubon island、チェルボン島とも)で起こった
島民と朝鮮人軍属による反乱事件。


事件の背景
事件が起きた1945年、マーシャル諸島は米軍によってすでに制圧され制海空権を奪われていた
(ギルバート・マーシャル諸島の戦いを参照)。
飛び石作戦により米軍が素通りし、孤立した島では慢性的な飢餓が発生していた。
そのため、事件が起きたミリ環礁に駐屯する日本海軍の第66警備隊は、
警備隊司令部が置かれたミリ島に一箇所に集めていた各部隊を、ミリ環礁の各島に分散配置し、
食料は自活自給するとした。

兵士たちは鼠、蛇、魚などを食べて飢えをしのぐ一方、島の各所で食料の徴発も行ったが、
これに抗議したチルボン島の族長を日本兵のひとりが殺害したため、島民達の反感を買っていた。

日本側の記録
ミリ環礁に駐屯していた第66警備隊は、本事件に関する詳しい記録は取っておらず、
関係する資料も残っていないとされる。
また、第66警備隊司令の志賀正成大佐も敗戦後、収容先のグアムで部下が起こした
米兵捕虜処刑の責任を取って自決しており、真相は不明である。

また、事件の日本人当事者の証言も現在のところ存在しない。

ただ、韓国の『日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会』による発表内容において、、
1952年に日本の第二復員省[1] 職員が作成した『旧海軍軍属身上調査表』で、
事件の経緯が詳しく記録されているのを発見したと発表し、身上調査票には、
当時反乱鎮圧に参加した中川清人海軍大尉の証言が記録されていると主張している。

朝鮮人軍属の証言

以下は全て韓国側の証言である。また手記自体は公開されておらず、今後の検証が待たれる。

元朝鮮人軍属の一人が1985年に残した手記の内容によれば、直接的な原因は
日本人軍属が朝鮮軍属に「鯨の肉」と評する物を気前よく渡したことがきっかけである。

朝鮮人軍属はこれを不審に思ったが空腹からその肉を食べた。
それから数日後、年の初めに行方が分からなくなっていた仲間の朝鮮人軍属1人を
付近の無人島で死んでいるのを発見する。
遺体の太股には不自然に切られた箇所があり、彼らは
「あの肉は仲間のものに違いない」と確信した。それから数日後にまた、朝鮮軍属一人が失踪し、
同様の遺体となって発見される。
恐怖した朝鮮軍属達は島からの逃亡を考え、日本人から信用が置かれていた朝鮮人軍属を
リーダーとし、島民とも共謀して日本軍に対する反乱を計画した。

島の周囲に米軍艦艇が航行していたので、日本軍属を殺害して米軍に投降しようと考えたのである。
1945年3月18日、反乱が実行され、銃撃戦の末に7人の日本軍属を殺害して
島からの脱出を試みるも、一人の朝鮮軍属がこのことを隣のルクノール島の日本軍部隊に密告し、
同日午後3時ごろ、50名から60名ほどの討伐隊により機関銃を使うなどして鎮圧された。
最終的には14人ほどの朝鮮人軍属を除いて反乱側がほぼ全て殺害されるという結果に終わった。
朝鮮人軍属60名と反乱に参加した島民40名が殺害されたとされる。


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