14/08/12 17:11:07.72 TJoELWih0
「敗戦の翌年の2月、ソ連兵が日本軍の捕虜を連れて引き上げると、入れ代わりに国民党
が共産軍と戦うために入ってきて、またしても戦争です。大勢の日本女性が殴られ、仕方
なく妓女にされました。私は国民党軍の師団長に脅迫されてとらわれの身となり、乱暴され
ました。」 (「女たちの太平洋戦争Ⅰ」 朝日新聞社)
「列車は臨時停車し、そのたびに八路軍兵士が復員者の携帯している貴重品などを強奪
する。・・・そして、彼女らは兵士に列車から引き降ろされて、・・・連行されたところは元の
天津で、『妓女戸』と呼ばれる慰安所であった。彼女たちはここで約2年、八路軍兵士のた
めに、日夜働かされた・」(富沢繁編「女たちの戦争よもやま物語」光人社)
「応城でのこと、一人の慰安婦が新四軍(中共軍)に拉致された。だが、運よく、日本憲兵隊
で抑留していた新四軍の中隊長の妹と、その慰安婦を交換する交渉がまとまり、新溝かど
こかの橋の上で相互に引き渡された。その折、慰安婦の話によると、向こう側でもやはり
慰安婦をやらされたそうである。中共兵は行列を作って順番を待っているので一体、何人
やらされるのかと勘定したが、30人ほど教えて面倒臭くなってよしたそうだ。中共兵は切符
制なのに比べて、日本兵の場合はお金がないと遊べないから可哀想だと思ったという」
(長沢健一著「漢口慰安所」)