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『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』
(二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、
同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(「岡村寧次大将資料」(上) P302~P303)
慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様←ココ注目
岡村寧次大将回想記「私は恥かしながら慰安婦案の創設者である」
岡村寧次
URLリンク(ja.wikipedia.org)
岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、
日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、
官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。
父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛
の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。
『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』(稲葉正夫編、原書房 なお、(下)は刊行されていない)
慰安婦(『資料(上)』によれば、慰安婦制度を最初に考案したのは岡村。
第一次上海事変当時のことで、強姦事件が起きたために長崎県知事に依頼して慰問団を
送ってもらったと述べている)
陸軍大将は潔く認めてますよ