14/07/28 16:09:23.70 SH7FRg120
>>125
wiki 「悟り」より
>初期仏教から部派仏教あたりまでは、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践された。
>仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの
>生存を繰り返し、輪廻(りんね)を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心を
>もってし、分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱
>(げだつ)しなければならない、その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)すること
>で実現する。これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。