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(>>1の続き)
国連がこれに強い関心を寄せたことで、実態とかけ離れた慰安婦像が独り歩きし始める。
慰安婦問題は国連や国際社会を舞台とした対日批判の象徴となった。
「人権」が尊重される国連の仕組みを巧みに利用した戸塚は、「NGO(非政府組織)が国連などの
国際人権手続を実践的に活用した実例の報告」を自著『日本が知らない戦争責任』に詳述し、こう振り返る。
「数多くの国連人権会議に参加して、この問題(慰安婦)を提起し続けた。
現代奴隷制作業部会、差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)、
人権委員会(人権理事会)には毎年参加した。そのほか、ウィーン世界人権会議(93年)と
その準備会、北京世界女性会議(95年)とその準備会など
参加した関係国際会議を数えるだけでも気が遠くなるほどの数になった」
狙いは人権問題
戸塚の関心は、当初から慰安婦問題にあったのではない。
国連を標的にしたのはなぜか。戸塚は早い段階から、「個人的方針」を立てていた。
自由権規約の締結国から人権侵害を受けたと主張する個人が、
自由権規約委員会に直接通報することを可能にする、
いわゆる「第1選択議定書」を日本に批准させる方針だ。そして、日本が批准するまで、
「日本に関する重大人権侵害問題を国連に提起し続ける」ことを自分に課したのだ。
戸塚は精神障害者の人権や過労死問題などを取り上げるため、80年代からジュネーブ詣でを繰り返していた。
91年12月に元慰安婦らが日本政府に損害賠償を求める民事訴訟を起こしたのと前後して、
戸塚は慰安婦問題を国会で取り上げていた社会党参院議員の本岡昭次を通じ、慰安婦問題と関わるようになる。
92年2月、人権委員会で発言権を持つ国連NGO
「国際教育開発(IED)」を代表して、慰安婦問題を提起したのだった。
「何十回、国連で発言したか分からない。
日本が犯した人権侵害の問題をたくさん取り上げたが、国連が反応したのは慰安婦問題だけだ」
戸塚は自由権規約委員会の対日審査の後、審査を聴いていたある日本人にこう振り返った。
(以下略 全文はリンク先で)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
(終わり)