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慰安婦の収入
慰安所の料金は昭和13年当時「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」など
と決められていました。相手によって値段が大幅に違う妙な設定ですが、軍
が有無を言わさず値段を決めたから出来たことです。実際は軍が「キップ
(花券)」を発行して、階級に応じて給与から天引きしたようです。慰安婦
は値段交渉の余地なく花券を持った客の相手をさせられたわけです。
当時の兵士の給与が月10円程度だったので5円というのは相当高い金額に
見えます。しかし、当時の内地のサラリーマンの月給は100円くらいです
から、むしろ兵士の給与が異常に低かったわけです。これは兵士の給料と
いうのは、住居費、食費、被服費が差し引かれたあとの小遣いという意味
合いだったからです。軍人も自宅から通勤するサラリーマン的な位置、中尉
くらいになると月給100円です。
客の90%は下級兵士だったわけですから「売り上げ」も知れています。
一日10人としても月300円くらいで、その多くは経営者の懐に入ったはず
ですから、「高給取り」のはずがありません。支払いは軍が勝手に発行す
る通貨「軍票」での支払いでしたから、戦後は紙くずになりました。
しかし、元慰安婦の中にはかなりの金額の貯金があったとして、その返還を
求めている人がいます。これには少し事情があるようです。その人の説明
によると、これは給与ではなく、「チップ」をためたものだそうです。一部
の慰安婦はチップを沢山手にしたことになりますが、貯金の日付けをみる
と、殆どが終戦間際になっています。
軍票というのは何の裏づけもなく印刷した通貨でから、あまり通用価値は
なかったのですが、公式には内地の円と等価と言うことになっていました。
軍がいくら軍票を発行しても内地がインフレにならないように、外地で貯金
はできても内地(朝鮮を含む)で引き出すことは出来ない定めになってい
ました。でも、事情がよくわからない慰安婦たちは収入をせっせと貯金し
たのです。
兵士たちは他に使い道もなく、内地に送金もできない「軍票」を慰安婦に
チップとして渡したものが多くいたようです。特に終戦間際には、紙くずに
なることが確実で、大量発行で超インフレ的に使用価値を失っていた軍票を
持っていてもしかたがないので、どっさり慰安婦にくれてやったのでしょう。
軍票は当時の慰安婦の生活にとってもなんの役にも立たないものではありま
した。国に帰っても引き出せない郵便貯金は詐欺のようなものでした。