06/10/25 00:17:28 QqTzYfh90
対立事項で考えるべきではないことを、対立事項としてのみ騙るからだろうなぁ。
個人と国家は対立しているモノではなく、対立するとしたらソレは、個人主義と全体主義なんだよね。
国家の一員であり、個人であるという事は何ら矛盾しない。個人の集合が国家であり、国家の一部は個人である。
それぞれに補完し合う事はあっても、それら自体は対立しているものじゃない。
のに、対立させないと国家というモノも個人というモノも考えられない。
これはひとつに、日本社会では健全な個人主義や人権意識が成立していないからというのもあるのだろう。
(言い換えれば、山田が批判する集団主義的な意識に山田自身が囚われているから、個人主義というものを国家
や集団へのアンチテーゼとしてしか解釈できていないという事でもあると思う)
別な観点で言えば、妖怪の話やネイティヴアメリカンの教えの話、宗教の話の時もそうだけど、そういう 「文化的な
モノ」を 、 「科学的なモノ」 への対立事項として語ったりもする。
けれども本来、科学的思考や合理主義と、宗教や例や妖怪という概念、文化というのは、対立するモノではない。
これらを対立事項として語るというのは、文学を数式で解体しようというようなモノだし、或いは詩や歌と化学式のど
ちらが正しいかという比較をするようなもので、全く意味はない。
こういう誤った認識でモノを語ってばかりいるから、疑似科学や心霊詐欺や、ゲーム脳の様なラベリングが跋扈して
しまうのだけど、疑似科学と学的思考、心霊詐欺と宗教の区別もつかない山田的な人たちの発言は、こういうところ
で利を得ようとする人たちに結果として活動の場を提供し続けているんだよな。
こういうカタチで、無理矢理 「自分と対立する外側」 を作らないと、自分自身の立ち位置を決められない。
だから何でも感でも、単純な対立事項に落とし込むことばかりしてしまう。
山田が批判する様な、「中国人や韓国人は全て敵だ」 とか 「アラブ人は全てテロリストだ」 的にしかモノを見れない
人たちと、結局は同じ視点でモノを見て語っている。