06/11/07 00:16:31
>>105 -106
曹操が嫌ってる「儒」は孔子の教えそのものってわけじゃないよ
本来の儒に関しては有用性を認めてる。
→ジュンイクとの会話や、カアンに論語研究させるところ。
儒(による価値観)が漢帝国の人材登用基準になって久しく
それに伴ってあらゆる才が「漢帝国の人材採用基準としての」儒の価値観に
あった形でしか認められないことを最大の問題と見ている。
ねじまがった儒の基準に認められなくても、すばらしいものはすばらしいから
誇りを持て=「それぞれが天下人のように奏でろ」
天下(漢帝国)が強要する価値観に従う必要はない、自分の天下(価値観)で考えろ
ということ。
曹操ほど過激でなくても、儒の側からの内部改革を目指してる人も出て来る。
カダとサイエン。
カダは人材登用基準に使われて続けてなあなあになってきたのが
形骸化の原因と見てるから、サイエンやジュンイクなど人材登用にたずさわる者を冒涜者と見る。
サイエンは善行や有徳であるのは一番基本的な人材評価基準だということを信じてる(徳と才は不可分)
善行などで評価してるとひっかかってくる”郷原”のようなタイプは、もっと減点に立ち返ってもらいたい。
だから「儒よ矜持をとりもどせ」。
カダの場合は、曹操は儒の改革者としてでなく唯才の実践者としての部分で呼んだのに
カダがそっち方面を頑なに否定したから処刑された
サイエンは郷原タイプをスッパリ断つか、価値を認めるかで曹操の政策とぶつかった。