06/05/24 21:40:14 CGn9F97E0
>>77
先生。
日米交渉は4月からスタートし、6月のハル4原則を経て日本は何とか協調路線で
行こうとしてた訳ですが。
近衛内閣を経て東條内閣では異例の大命"(帝国国策と交渉の)白紙還元"を受けて
必死になって日米交渉を行った訳ですよ。
交渉過程や甲案に於て、三国同盟は同時参戦を確約する物ではない(アメリカとド
イツが戦端を開いても、日本はそれに参戦する義務を有してない)と説明し、中国
大陸(満洲を除く)からの撤退は原則合意(1966年までに撤退)し、駐留は共匪からの
防衛だと説明している。
乙案に於てはアメリカが強く求めた南部仏印からの撤退に同意している訳だ。
当時の政府部内では東條総理は更なる譲歩案も用意していた腹があるらしい。
陸軍全体の雰囲気と、政府が一枚岩であった訳ではない事を理解してほしい。