05/09/26 13:00:41 Bb54WCs+0
>>339
・信雄が明智勢の拠点になるのを恐れて自ら火を放った。
(本能寺の変の混乱で、兵が離散し、明智勢に対抗するだけの兵を保てなかったので)
・本能寺の変のどさくさで放火された。
(明智方に寝返った兵とか夜盗とか・・そんなのを撃退する兵もいなかったろう)
・信雄が、ついカッとなって放火。今は反省している。
どれか。
明智秀満が火を放った・・って説もある。
ここから近くでどう描かれるか気になるのは
やっぱ信長の死に様と、秀満の絡みか・・
明智秀満(?~1582?)
左馬助、三宅弥平次。丹波福知山城主。
一説に光秀の甥もしくは従兄弟の光春ともいうが、実際は三宅藤兵衛(綱朝)の息子か。
天正六年、荒木村次に嫁いでいた光秀の娘が離縁されるとこれと再婚、
明智秀満と名乗る。光秀の右腕として活躍。
本能寺の変に際しては本能寺に信長を攻める。
その後安土城を守備するが、山崎の合戦の敗北を知り光秀援護に向かうも
進軍してきた堀秀政軍と交戦し敗北、ただ一騎琵琶湖を馬で渡り
「左馬助の湖水渡り」として膾炙する。
また坂本城入城後は包囲軍に城内の名物を目録と共に引き渡し←ここら辺り。
あっぱれな武者として名を残す。