03/11/07 17:33 TD8T0d5z
虚妄の産物に過ぎないさくらタンを、より実感的に把握するには
肉体的な感覚を経由するのが一番なんだな。
つまり、「性欲」と「苦痛」。
ぶっちゃけ、さくらタンをネタに
チンコ握ってハァハァ言ってるときと
グロカキコ読んで嫌悪感を感じるとき。
この瞬間こそが、もっとも身近にさくらタンを感じることができる。
これは、キリスト教徒が神の存在を最も意識するのは、
皮肉にも彼らが罪を犯したときであるという逆説にも繋がる。
彼らはその罪の意識により、神を意識せざるをえない。
虐待は、あいまいな虚構の存在であるさくらタンを、
「苦痛」という誰もが共感できる回路を通すことで、
より確かなものとして、俺らの中に現出させようとする行為
なのだよ。