【福井晴敏】機動戦士ガンダムUCアンチスレ 15コーンat X3
【福井晴敏】機動戦士ガンダムUCアンチスレ 15コーン - 暇つぶし2ch526:通常の名無しさんの3倍
10/06/26 02:20:59
あれから30年------早いもので、とは口が裂けても言うまい。
十歳かそこらの小僧が、四十面のオッサンになるまでの時間が早い道理はない。
あと何年生きるにもせよ、この三十年間は我が人生のメインステージだった。
(中略)
それまで築いてきたキャリアにも障るとわかった上で、しかし、筆者は本企画において声を大にして言っておかなければならない。
この三十年間、『伝説巨神イデオン』を超える作品にはついに出会えなかった、と。
おもしろい作品にはいくつも出会っている。
実際、常に一時の享楽を与える機能に限定すれば、『イデオン』というフィルムにさほどの力はない。
が、出会った者になにかを残す作品------絵空事を通じてその者の人生に干渉し、現実を捉え直すきっかけを与えるような作品となると、
大概の映画や本は『イデオン』の前に色を失う。
(中略)
商業的不振から打ち切りの憂き目に遭い、ストーリーにシンクロするかのように"消滅"したテレビシリーズと、そのあとを受けて公開された『発動篇』------
アニメという媒体が語り得るドラマの究極にして、実写と肩を並べる新たな表現方法になり得ると証明した孤高の映画。
その少し前、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』で示された可能性が、早々と究極にたどり着いてしまったことの功罪は、『四十の魂』本編で先に記した通りだ。
端的に言うなら、この『発動篇』以降、アニメは死んだ。
宮崎駿や押井守がいるではないか、という声もあろうが、筆者に言わせるなら、両者の作品は各々理想とする「まんが映画」と「実写映画」のありようを、
その時々の最新のアニメ技法で具現化したもの。
すなわち、その語り口は旧来から存在したものの発展拡大版でしかなく、『ガンダム』を経て『イデオン』で結実した"アニメのみが語り得る物語"とは根本的に異なる。
『イデオン』以後、この進化の系統列はオタクという新種のウィルスに取り憑かれ、一般社会と乖離した歪んだ進化の軌跡をたどることになったのだ。
なぜなら、そこにはすでに『イデオン』という究極が在り、それ以上はないと暗黙の重圧を放っているからだ。
なにをやっても勝てないし、下手をすれば二番煎じに終わる。
そんな状況の下では、真面目にやったら馬鹿を見るではないか。
好き物の連中に好きなものだけを見せ、確実に商売を転がして行くよりないではないか------。

そのような無意識の諦念が業界にはあったかどうかはともかく、『イデオン』の完結を境にアニメが変質し、狭い間口に収斂していったのは確かだ。
その復活の兆しを見るには、実に十年以上の時を待たねばならなかった。
そう、『エヴァンゲリオン』が堂々と"二番煎じ"をやってみせ社会現象を起こすその時まで。
かように、その強力さゆえにアニメの可能性をも取り込み、日本の映像史に隠然たる影響を及ぼしている『イデオン』。
三十年を経てなお魔的なオーラを放ち続けるこの化け物は、富野由悠季という天才の中から生まれたものにして、そうではないとも言える。
これほどに完成された物語は、おそらくイデに取り込まれ続けているのだ。
そこから抜け出すには、『イデオン』を超えるものを作り出す以外にないのだが、容易なことではあるまい。
人とはなにか、生きるとはどういうことか。
古今のフィクションが追い求めてきたテーマをたった一作で消化し、描き尽くした魔物に対して、いまの我々はあまりに無力だ。
が------『イデオン』の初期プロットには、全滅の果てに因果の地平にたどり着くのとは異なる案もあったと聞く。
いよいよ発動を開始したイデに対し、コスモたちが「止められるものなら、止めてみせよう!」と不退転の覚悟を示したところで終了……というものだ。
もしそうなっていたら、現実世界にまで浸食するイデの発動は食い止められ、アニメの状況もまた変わっていたかもしれないが、
歴史にifを投げかけても詮なきことだ。
ここはひとつ、コスモの不屈の精神にあやかってこう言おう。
いつの日か、伝説の巨神を凌駕する新たな可能性を------「手に入れてみせよう!」と。

(電撃HOBBY8月号 特別編 伝説巨神イデオンより)


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