10/02/16 16:40:26 lEvgpIuH0
よく言われているウルキオラ戦最後の『心か』
1ページ丸ごと使ったこの台詞に批判が集中したわけですが
ほんとうに意味のない、中身のない台詞だったのか
実はちゃんと意味があります。
まず前提としてウルキオラは織姫が32巻のグリムジョー戦で
虚化した一護を怖がったように人間にとって
心のない虚は恐怖の対象でしかないと思っています。
そしてウルキオラ戦で更に虚化が進んで
バケモノになった一護を見てもグリムジョー戦で虚化した一護を受け入れている
織姫は怖からずに駆け寄って一護の心配をしています。
それは織姫の“皆を思う”気持ちとそれに答える一護の
“織姫を守りたい”という傷ついてまでも思うその強い気持ちが
あるからこそ織姫は怖がらず受け入れたわけです。
人を思う気持ちが心ならば
心がないと言われる虚でも人間とわかりあえる事ができる。
そんな2人を見て最後にウルキオラが言います。
『虚化した一護を怖がらないように俺も怖がらずにいてくれるか?』
それに対して織姫は『こわくないよ』っと
“人を思う気持ちが心”の裏づけになる伏線は
30巻アーロニーロ戦のルキアの回想シーンで、カイエンが拳を出してこう言います。
『心は体の中にはない。なにかを考える時、誰かを思う時に心が生まれる』
つまりウルキオラが言った『この掌にあるもの』というのは
織姫が死にそうなウルキオラを思い、手を差し伸べた
その時に心が生まれたというわけです。
さりげない台詞、行動、表情が『心か』の一つの言葉に矛盾なく繋がっていく。
こんなに解りにくい伏線や複雑な感情に気づけば
中身がないなんてとても思えないし
「頭カラッぽにして読んだほうがいい」なんて言葉も出ないはず。
以前テレビで『読み返して初めてわかるような話作りを意識している。』
そう作者は言いました。
やろうと思えばいくらでも解りやすくできるのにあえてそれをしない。
そのわかりにくさを良しとするか否かは人それぞれですが、
読者に過小に評価されてもつらぬくほどのこだわりが作者なりにあるようです。
アンチはもちろんブリーチを評価している人も批判に流されて欲しくない。
間違った批判を鵜呑みにし荒探しのように見ても
30巻、それ以前から暖めてきた台詞だからこそ1ページ使う
そのウルキオラの言った『心』の本当の意味に気がつけないはずです。
何度も言いますがブリーチの矛盾、後付はどの漫画にもあるレベルで
アンチがブリーチでのみ指摘し強調しているだけです。
話の遅さを許容できて
人の意見に振り回されずに自分で物事の良し悪しを
判断できる人ならきっと面白いと言えるだけの魅力があります。
ちまちまと週間連載で見ている人よりも
昔読んでいた、もしくは全く読んだことがない人だからこそ
コミックでまとめて読めばそのテンポのよさ、面白さに気がつくはずです。
オススメです。