09/08/22 06:50:22 lFHlFua00
『合理性芸』をバラ捲いて来たツケというのは早晩出始めるだろう。
劇は宗教の人間が関わっているというのはほぼコンセンサス化している。
野田や鴻尚が宗教の人間という事である。
自分が一番おいしい所を取り、配下の茶坊主や売女に2番煎じをやらせる訳である。
小説でいうと村上が一番煎じで芥川賞受賞者が2番煎じ、東野やメフィスト系が3番煎じ以降の汚れ仕事
といった所だろう。
彼等が外国で毎回失笑を受けているのは、一つが日本の価値を毀損するのが彼等の『合理的目的』の為、
そしてもう一つは本当に情緒も何もなく表現の世界に入ってしまったので、本当に自分のやっている事が
つまらないと分からないというミズラブルな事まであり得ると考えている。
つまりは、本当は素晴らしい物が出来る筈であるのに、今では一般人は中々近寄らなくなっている。
一般の日本人も表現としての演劇を『ほぼ放棄している』。
今演劇で生計を立てられると思う人間はいないだろう。
話を戻すと、読者は全くバカではないから、その内これは『合理性芸』だと気付き離れていくか、同じ心象を
持った『合理的な』人間ばかりが『僕にもコピペで金儲けさせて下さい』と集まって来るようになるだろう。
そしてそういったおいしいポジションにはバカルト教団の部内者、カルト内カルト内カルトの人間、
そういった連中ばかりになる筈である。その内外国人(発注)ばかりになる筈である。
【C】能力というのにも当然【M(C)】というのが存在する。
彼等は気を付けて見ていたら、やっているのは【C】というよりも【CM】をやっている。
自分の返答に時間を空けて一々嘘の電波を各方面に飛ばして違う事を言わせて混乱させているのも、
【M】があるからである。ようするにこれをやっているのは一度や二度ではない事になる。
犯罪者は自分の冒す犯罪に関して熟知している必要があるのである。
彼等に【CM】をやられたら、日本人が幾ら【CM’】の真似事をしてみた所で全く太刀打ち出来ないだろう。
ウン千年の虚虚実実の騙し合いの歴史は伊達ではない。
深さ(depth)が違う。
それを尊重する能力位は自分にはある。
つまり、出版社は最初は目の前に突如として現れた洗浄マネーと娘々に浮かれ果てても、後からきっちりと
表の請求書と裏の証拠写真を突きつけられて追い出されるようにはなっから出来ているのである。
集英社では馬が子供向けに洗脳マンガを描き続けている。
どんなに攻撃しても馬がポジションを明け渡す気がないというのは、それは馬が『合理性』で動いている
からである。そして馬は攻撃に耐える合理性があると仲間からは完璧にそのKY性を賞賛されている筈である。
『とんでもない馬鹿だと思ってください』と言って許されると分かれば仲間内ではその合理性が賞賛され、
皆それの真似をし始める訳である。
自分は馬油胆が描いているというだけで、りぼんは絶対に子供には見せない。
あっという間に洗脳されるからである。
今のりぼんはりぼんではなく、りぼーんである。
合理性に飛んだ人間はどうか。当然、自分の子供にはマンガなんていうのは絶対に読ませないだろう。
何故ならばそれは愚民にバラ撒く為に特化された物であり、劣悪な消費物であるからである。
他の一般人も同じ理由で読まないだろう。
だから、最初から素性の知れないような人間にやらせてはいけないという事になる。
然しながら、今は魔を追い出そうとしても追い出せないような形になっている筈である。
新しくバンチなどを始めようとしても、なんと半数近くはちょっとおかしい人間が占めている。
これが中国4000年の【CM】(汚い歴史)であり、『合理性』であり、『兵法』である。