10/07/13 01:30:52
【辰彦】
「ボクは、紀子が肌の色によって友人を区別するというようなことがまったく無く
育ったことがうれしい。 マイナス面は語彙が必ずしも多くないことだと存じます。」
記者 「ピアノや絵のほか、例えばいわゆる花嫁修業といわれる料理や
お花の啓子などにも、紀子さんは通われていらっしゃいましたか。」
【和代】
「お稽古事はさせておりませんでした。私はできれば勉強を続けさせて
あげたいと思っておりました。いまになって思うことでこざいますが、私自身
仕事をもっておりませんことがとても残念だと存じます。
紀子が大学を卒業して働くようになり、結婚して子供が生まれたなら、子供の
めんどうは私が引き受けまして、紀子には仕事を続けさせてあげたい、と
思っておりました。」
【和代】
「高校二年のとき、夫の知り合いのアメリカと韓国の研究者仲間が
それぞれご夫妻で私どもの家に遊びにおいで下さいました。
アメリカの方の夫は社会学、妻は日本文学、韓国の方の夫は地域科学、
妻は心理学の教授をそれぞれなさっていらっしゃいました。
紀子は皆様のお話をうかがっているうちに、とても興味を抱いたようで、
それがキッカケになったのではないかと存じます。」
聞き手: 毎日新聞京都支局・江森敬治記者
(学習院大学 川嶋教授研究室にて、平成2年5月)