10/05/23 09:05:56
■『消えたお妃候補たち』小田桐誠、宝島社1993年、p205より
皇室会議で小和田雅子が浩宮妃として婚約内定。慣例で満場一致の形式をとったが、
皇室からの選出議員である三笠宮長老殿下は反対したと伝えられる。
皇室会議では、皇族としてただ一人出席した三笠宮は、
「雅子妃決定」に皇族を代表する形で不快感を示したといわれる
■平成5年2月8日 小和田雅子を親類一同に紹介する両陛下主催の晩餐会
>本来陛下は全皇族と民間妃親族を招待しようとしていたが、
>秋篠宮殿下を除き皇族方(常陸宮・三笠宮・桂宮・高円宮)は欠席。
>当時から既に小和田雅子が皇太子妃として歓迎されていなかった状況を反映していると考えられる。
→参考:『サンデー毎日』1993年6月13日号