09/12/09 20:47:21
●皇室適応力より社会との接点を
クイズ番組の解答者としても人気を博した篠沢秀夫学習院大名誉教授は、
秋篠宮さまが中等科時代から乗馬クラブを通じて親しく接してきたが、今回のニュースにショックを隠せない。
「世間も本人も、下から学習院に進んだ人のことを、『エスカレーター上がり』とマイナス評価しがちだ。
秋篠宮殿下は大学時代、私が学習院大出身だと知って、お会いするたびに、
『先生の学年には教授になってる人、多いですよね』と話題になさった。
学習院出身でも教授になれる人がいるのだ、と認識して喜んでおられた。
その直後、学習院の下からの下級生だった紀子さまと婚約された。
『学習院大学だって大丈夫なんだ』と認識されたのだ。お子さまの進学についてどのようにお決めになろうと、
私は秋篠宮殿下の学習院大学についての認識を信じている」
だが、現実には、秋篠宮家の眞子さまは、学習院女子高等科から国際基督教大学へ進む決断をした。
旧皇族の竹田家の出身で、慶応義塾に幼稚舎から大学まで通った竹田恒泰(つねやす)氏は、こう振り返る。
「明治期の学校はどこも天皇のご真影を飾ることが義務づけられていましたが、
慶応義塾だけは『そんな大切なものを飾るにふさわしい場所がない』と理屈をこねて飾らなかった。
両親がそのような校風を気に入ったのかもしれません」
また、ある宮家関係者は、「秋篠宮ご夫妻は、悠仁さまが学習院で皇族としてちやほやされることや、
交友関係が狭まることを危惧したのではないか」と推し量る。
元教師で教育評論家の尾木直樹法政大教授は、皇族教育をめぐる「政権交代」をこう分析する。
「秋篠宮家がお茶の水を選んだのは、学習院で皇室社会への適応力を育むよりも、
一般社会との接点を増やし、豊かな人間関係の構築をより重視する方向に、
皇室がチェンジしようとしていることの証左でしょう」
世はおしなべて「改革の季節」だ。
だれよりも伝統にこだわると思われた皇室のほうが、どうやら学習院よりも自己変革力が高かったようである。
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