09/09/05 07:50:19
麻生家から宮家にあがられた信子さま。
ご著書より
結婚いたしましてまだまもないころ、老人ホームや療護施設や重度障害者の授産施設等に
宮様のお供をいたしましたとき、障害を持っている方々と思うようにうまくコミュニケーション
できずに困ったことが再三ありました。
「きれいな絵が掛かっていますね」ともうしましたら、相手の方は全盲でいらしたり、お話を
しかけましたところ、そのお年寄りはお耳が不自由でいらっしゃったり。
手話にしましても、地方ごとの方言があって表現がちがうことや、年代によっても表現の仕方が
ちがうということをまだ知らずにおりましたころのことです。
(中略)
このような失敗のあとで、とうとう宮様に、
「どうして、こういうふうになってしまうのでしょう」
と、お尋ねしたしましたところ、
「ノンチねえ、かっこよく接しようとするんじゃなくて、最初から『失礼ですが、あなたの障害は
どこですか』とはっきり相手の人にきいてしまえばいいのさ」とおっしゃいます。
相手の方の障害部分に触れないことは礼儀でも美徳でもなく、きちんときいて理解したうえで
ほんとうに心を通わせ、必要な対応をすべきだというのが宮様のご流儀です。
(中略)
宮様のお考えでは"障害がある”ということ自体なにも特別なことではなく、健常者であっても肉体的、
精神的、社会的にいろいろな障害は必ずあるし、年をとればあちこちが不自由になるのがあたりまえで、
つまり障害のあるなしをことさらに区別して考えるほうがよほど不自然であり、百パーセントの健常者
というものはありえないし、逆に百パーセントの障害者もそんざいしていないというふうに考えるべき
だとおっしゃいます。