09/08/31 15:39:42
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▽官僚とマスコミの妃殿下いじめを等閑視
橋本さんは、このひたすら長い第2章で、皇太子殿下のイギリス留学から
妃殿下との出会い、ご結婚、妃殿下の発症後、今日までの軌跡を丹念に追っています。
しかし、触れていないことがあります。妃殿下問題を引き起こしたマスコミの挑発・誘導という外的要因です。
橋本さんは、11年暮れに雅子妃ご懐妊の可能性に触れた報道が流産という悲劇的様相で消えたこと、
宮内庁、側近からマスコミに事実が次々に流れ、東宮妃の宮内庁不信やマスコミ嫌いが募っていった
と指摘しています。しかしそれだけです。
勇み足報道のあと、皇太子殿下は、翌12年2月の誕生日会見で、
「医学的な診断が下る前の非常に不確かな段階で報道され、個人のプライバシーの領域であること、
事実でないことが大々的に報道されたことはまことに遺憾」と述べています。
けれどもマスコミの姿勢は変わりませんでした。
「人格否定発言」の翌年、17年は皇位継承問題など厳しい質問が突きつけられ、
18年以降はまるで女性週刊誌の見出しを見るかのような会見に様変わりしています。
それでも殿下はつとめて大所高所に立った話をされようとしています。
マスコミ人の1人である橋本さんがそのような事実を知らないはずはないでしょうが、
著書には宮内官僚とマスコミによる妃殿下いじめについての言及がすっぽりと抜け落ちています。
そして、象徴天皇制を維持する要件はもっぱら皇族の倫理性だと理解する橋本さんは、
第2章の最後に、「何を求められても平然として応じる人間力」としての「ノブレス・オブリージュ」を妃殿下に要求するのです。
「誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも差し出しなさい」と教えたのはイエス・キリストですが、
橋本さんの要求は、妃殿下の右の頬を情け容赦なく叩いておいて、
そのうえ「さあ、左も出せ」と無慈悲に命じているように、私には聞こえます。
それが「主権者」たる国民が、「象徴天皇制」に対して行うまともな要求だ、と「陛下の級友」はお考えなのでしょうか。
もしそうなら、何と非人間的な「象徴天皇制」でしょう。