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>>197つづき
もっとも、天皇陛下はかつて「男子であれ、女子であれ、私の血筋に変わりはない」との
考えを表明され、当時の鎌倉節・宮内庁長官が「陛下、それは違います」と反論して大激論になったことがあるという。
しかし、その後鎌倉長官は女性天皇も含めた皇位継承についての制度研究を進めている。
これがのちに『有識者会議』の貴重な資料になったといわれている。
'05年1月、小泉内閣は女性天皇容認も含めた皇室制度を検討する『有識者会議』をスタートさせた。
愛子さま誕生の直後には慎重意見だった小泉首相が制度改革に着手したのは
「あの皇太子発言が 大きな契機になった」(元・宮内庁関係者)という。
当然、内々に皇室の意向も踏まえてのことである。
もっとも、この『有識者会議』の発足について、両陛下に当時の湯浅利夫・宮内庁長官が報告したとき、
「皇后さまは、ちょっとご不満の様子だったそうです」(前同)といわれる。
そんな中、皇太子ご夫妻への風当たりは強くなるばかりだった。
皇室内からも”両陛下とのコミュニケーション不足”を指摘した秋篠宮さまの批判発言があり、
また紀宮さま(現・黒田清子さん)の誕生日所感もご夫妻への間接的批判ともいえるものだった。
深まる皇太子ご夫妻の皇室内での孤立・・・。それを決定付けたのが秋篠宮家の悠仁さま誕生('06年)だった。
両陛下筋の情報に強いといわれる朝日新聞のベテラン記者は《秋篠宮さまは、東宮さまに遠慮していたが、
そろそろいいよとお許しがあったので、と親しい周囲にもらしていた》と、その舞台裏を明かしている。
「実際、紀子妃の懐妊は、両陛下、秋篠宮ご夫妻、ごく少数の側近という"奥”を中心にすすめられ、
一説には宮内庁長官も知らなかったそうです。そして有識者会議の結論(11月)が出た直後、
皇太子を含めた天皇家の家族会議で意思統一がなされたようです。男子継承は皇室の長い伝統だけに、
皇太子も了承するほかなかったんでしょう」(前出、元・宮内庁関係者)