09/05/07 08:37:05
平成皇室の行方
「雅子妃すべての悲劇の始まり」平成12年の皇太后葬儀、なぜ欠席を余儀なくされたのか。ジャーナリスト・友納尚子氏
1.バッシング報道の情報は、ご成婚当初より、宮内庁内部から意図的に出されていた。
2.平成12年の皇太后葬儀に欠席されたのは、
ご懐妊の可能性があったため、医者に止められていたからである。
皇太子ご夫妻が反論されないことを盾に、
宮内庁は「お世継ぎに自覚が無い」という情報を流し続けた。
3.雅子妃は、世継ぎ問題を乗り越えられず適応障害に陥った。
治療が始まったのは平成16年、治療までの時間の長さが症状の重さに繋がった。
4.その間も、宮内庁の天皇に名を借りたバッシング情報が流され続けた。
5.結局、自分が元気にならなければと努力され、少しずつ乗り越えられてきている。
「官僚から皇太子夫妻を守れ」役人の無責任体制が事態を悪化させた。猪瀬直樹氏。