09/05/04 11:26:54
こんなのみつけたわ
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「皇室典範」を審議する過程で、女帝誕生の可能性がひそかに探られていた
という問題がそれだ。
飛鳥井雅道氏の『明治大帝』(筑摩書房)によると、明治十九年、憲法作成に
重要な役割をはたしていた伊藤博文のところに、皇族中に男系が絶えるときは
皇族の女系をもって皇位の継承にあてるという案が提出されていたという。
明治天皇の皇子がつぎつぎと夭折していたことが、おそらくそうした発想の背景に
横たわっていたのであろう。万が一の場合の安全策として、そのような提案が
なされたのである。
それに、女帝誕生の伝統はすでに推古天皇の時代にはじまり、さきにみた
明正天皇の場合でも経験ずみであった。しかしながらこの女帝条項はどうしたわけか、
やがて草案の過程でしりぞけられてしまう。
男系による長子相続というイデオロギーが、明治という国家・社会を方向づける
重要な機軸として設定されていくのと、それは呼応する措置であった。
もう一つ、「皇室典範」の作成をめぐって論議されていたのに、皇位の継承をめぐる
嫡出か庶出かの問題があった。それがさきにのべた正妻・側室の制度に
かかわっていたことはいうまでもない。
これには微妙な問題が含まれていたが、明治以後の公教育では
一夫一婦のあり方がしだいに強調されるようになっていた。
天皇だけに例外を許すと、天皇と国民のあいだに溝が深まることになる。
そういう不安を解消するためにも、皇室の結婚に新しい時代の理念を
導入しようとする気運が高まっていった。