09/04/28 02:40:16
>>430より
<美智子妃殿下のストレスは、お出ましの時のドレスの調製が
予算の制約から思うにまかせないことにも一員があった。>
として、正田家がドレスを作りたいといったのに宮内庁が断ったという
話を聞いたこと、また、「妃殿下の衣装代は皇后様をこえてはならない」と
いう不文律があったことなどにも触れている。
「正田富美子さんが、皇室と正田家のメッセンジャーを勤めた
黒木従達東宮侍従に、“お約束が違いましたね”といったという
エピソードもありましたけど、それは家族全員が美智子さまの結婚に
猛反対する中で、母親の富美子さんだけが応援されたという経緯もあって
その後美智子さまの苦労を見るにつけ、富美子さん自身がご家族の中で
辛い立場に立つことになったからでしょう。」(略
河原氏によれば、美智子妃殿下の表情にゆとりが戻ってきたのは、
昭和五十二年に皇后陛下が腰の骨を痛めたころからだという。
「それまでは目の下に隈ができて、面持ちがよくありませんでしたが、
薄紙をはぐように変わってきまして、精神的に楽な状態になったのが
わかりました」
「雅子さんはテレビや写真で見るよりも、大変お綺麗な方でした。
キャリアウーマンに対するイメージというのがありましたが、それを
感じさせず、とても控え目な方だと思いましたね。いい方が来られて
嬉しいです。」(参会者)