09/01/16 09:18:33
昭和天皇崩御の頃に鯰をイギリス留学させたのは、キコと引き離すために皇后の提案だったと言われてた。
その間何度もキコはイギリスに行っていた。
卒業式さえもブッチして。
昭和天皇崩御の年の夏からキコの婚約内定が報道され、いわゆるギコブームが起こった。
3月の卒業ブッチに時にたらしこんで2度目の孕み成功、帰国後妊娠が判り断つ非子の点への恫喝、
「堕ろさせるかわりに、来年の1月喪明けには正式な婚約となるよう内定を発表せよ!」
それで昭和天皇崩御から半年足らずでルンルン(死後)と乳ユサジョギングのキコの登場となったのではないだろうか。(全て妄想w)
それくらいの流れでないと、内定発表すら平成二年以降の喪明けになってないと非常識だから。