09/01/15 10:15:58
カントは、人間が陥りやすい究極の、かつ見分けがたい「悪」を考察した。
我執(エゴイズム)が「うぬぼれ」となって現れるときである
▼弱者の味方のような顔をして、世間の喝采を浴びながら、ひそかに自らの名誉欲を満たす。
なまじ賢く如才ない、そうした連中を、カントは忌み嫌ったという(中島義道著『悪について』岩波新書から)
▼仏法で説く「僣聖増上慢」の姿にも似ている、と思われてならない。
僣とは“悪賢い”との意。聖者のように振る舞うものの、内心は狡猾で、名聞名利を求めてやまない
▼このような計算高い「うぬぼれ」に、どう対処するか。カントは「たたきのめす」しかないと考えた。
理詰めの訓戒などで、片が付く代物ではないからだ。
“自分はこれだけやっているのだ”という、おそらく本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ。