08/10/02 20:46:19
かつて将軍家光が幼少の頃に、両親の寵愛を一身に受けた弟を次期将軍にという
声が多く、親もその気だったけど、弟の分際で分をわきまえろ!という
家康の一喝で、その瞬間から将軍家の後継者は家光だ、と誰もが受け入れた。
家康という徳川の最高権威者の意見だからというのではなく、
家制度においては長幼の順を遵守することこそ、家の存続の基盤だから
誰もが受け入れざるを得なかった。
実際兄弟間での後継者争いは戦国時代に限らず天皇家でも武家でも
昔からあった。家臣をまきこみ、結果的に家の衰退を招く以外の
なにものでもでもない。
家光の弟は結局謀反の疑いをかけられ(実際不穏な動きがあったらしい)、
蟄居の末自害した。
現在の皇族には家康のような存在がいないことが口惜しい。
香淳皇后でもご健在であれば、このような事態に天皇・皇后に
苦言を言い、筋道を通すよう軌道修正されたはず。
生前昭和天皇、香淳皇后はそういう価値観であられたからこそ
美智子妃の言動に理解を示すことができないことが
多かったのだろう。秋篠宮の教育方針は当時から問題があって、
現在このようなことになったのは、その結果に過ぎないのだと思う。