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【宮内庁と東宮妃の確執②】
しかし雅子妃の抵抗は続く。03年3月24日、長野市で開催の世界フィギュアスケート選手権大会が、
出産後初の地方公務として予定されたが、「4ヵ月の乳児と母親が離れて夜を過ごすのはよくない」として、
日帰りを要求。長野新幹線が開通したとはいうものの、首都圏以外の地方公務で皇族が日帰りをした
前例はなかったが、ここでは宮内庁が折れた。雅子妃は「公務を軽減し、自分のペースで携わらせて
ほしい」という言い分があるのだが、宮内庁は「皇后陛下・皇太子妃時代の御前例」を盾に、ほとんど
聞く耳を持たないでおり、育児休暇をめぐる軋轢も尾を引く結果に。
03年の雅子妃は、地方公務は12回計27日。ほぼ1ヵ月近くを地方で過ごしている。これに都内での
行事、宮中行事が加わるため、一般女性と比べれば「出張日数」は多い。この「27日」は夏以降の
2泊以上の公務が減ったうえでのもので、本来はもっと多いはず。
雅子妃の過労の一端が過密スケジュールにあるのは確かである。雅子妃のヘルペス発症後、
湯浅長官は「お疲れについては客観的なものが出なかったため対応が困難だった」、
林田大夫は「御公務を減らしてはきたものの、中途半端だった」と言い訳したが、
24時間態勢で東宮侍医が見守っているにもかかわらず、
雅子妃の体調に注意を払わなかった宮内庁幹部の責任は大きい。<続く>