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【宮内庁と東宮妃の確執①】
皇太子夫妻の側近には林田東宮大夫と小林秀明東宮侍従長がいるが、
林田は旧文部省、小林は外務省出身で、夫妻との付き合いは短く、4人の
東宮侍従も全員が他官庁からの出向組。女官は高木みどり東宮女官長ら、
93年御成婚当時からの長い者が多いが、海外生活の長かった雅子妃と話の
合う人はなく、雅子妃の周囲には、苦悩を打ち明けられる人間がいないのが
現状。01年12月の出産直後には、雅子妃が宮内庁幹部と「育児休暇」をめぐり対立している。
「妃殿下は、『育児休暇は働く女性の社会進出のためにも必要だし、
時代の流れ』として、向こう1年間は育児に専念したいと要望されました。
ところが宮内庁幹部はそろって大反対。『皇后陛下は3宮殿下ご分娩後、
すぐに御公務に復帰された』という前例と、『皇太子妃殿下が1年も公務を
休むことに世間の理解が得られるかどうかわからない』というのがその理由です。
そして宮内庁は雅子妃の意向に反し、02年2月8日の青少年読書感想文
コンクール表彰式で公務復帰されることを勝手に公表してしまったのです」(宮内庁東宮職職員)。
このとき湯浅利夫宮内庁長官が根拠にしたのが、「産後8週間を経過すれば
女性の就業が許される」趣旨の労働基準法第65条。
出産2ヵ月後の公務復帰もこの条文を援用したもので、長官の役人根性も見事というほかない。
ところが元官僚の雅子妃もさるもの、「労働者が1歳以下の赤ちゃんの養育のために休暇を
申し出た時、事業者は拒めない」とする新・育児休業法の規定を持ち出し、
「皇太子妃としての自分が働く女性のモデルにならなくては」と強く反論した。
しかし、東宮御所での話し合いの結果、湯浅長官が「社会にはまだ、
育児休暇を取りたくても取れない女性が多いのですから」と説得し、結局、雅子妃が折れた経緯がある。<続く>