09/06/04 22:11:03
>>102
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武豊がデビューした1987年、田原成貴騎手によって起こした略奪事件があった。
八百長疑惑、薬物疑惑、競馬関係者と対立するなど問題児といわれた田原。
マックスビューティは、馬主田所祐の意向で田原に変更させられたことになっているが、実は、田原が南井降板を馬主田所祐に要求して事件がおこった可能性も否定できない。
伊藤雄二調教師(2007年退職)がマックスビューティの鞍上は南井か河内で桜花賞、オークスに向かうことになっていた。河内がその前年にメジロラモーヌで旧牝馬三冠を達成したため、当時G1未勝利だった南井を軸にすすめられた矢先の事件だった。
競馬関係者が、「田原がまたやったな」「略奪だ」と冷ややかだった。
牝馬二冠のマックスビューティがエリザベス女王杯でまさかの敗退によって事件が表面化してしまった。
マックスビューティは、旧牝馬三冠になれると認識した伊藤雄二調教師が田原成貴の騎乗を希望していなかったため、「他の騎手ならマックスビューティは旧牝馬三冠になれた、」と伊藤雄二が激怒、「アイツ(田原)だけは絶対にのせたくない」と罵声をあびせた。
南井克巳(現調教師)は、田原との対立が表面化したことで、伊藤雄二厩舎の騎乗を控えるようになった。
河内洋(現調教師)も伊藤雄二調教師から騎乗依頼があった場合、武豊騎手に譲るようになった。