08/03/19 13:04:45
200ゲット
201:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/27 13:23:11
三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について
文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の死亡者、行方不明者の数は
数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。
当時の抗議声明文が載ってるサイト
URLリンク(dogma.at.webry.info)
202:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/28 14:16:34
三島由起夫 動画集
①URLリンク(jp.youtube.com)
②URLリンク(jp.youtube.com)
③URLリンク(jp.youtube.com)
④URLリンク(jp.youtube.com)
⑤URLリンク(jp.youtube.com)
⑥URLリンク(jp.youtube.com)
⑦URLリンク(jp.youtube.com)
⑧URLリンク(jp.youtube.com)
⑨URLリンク(jp.youtube.com)
203:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/28 18:17:52
三島の人生と小説
どっちに興味がある?
204:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 15:28:15
>>203
どっちかというと、人生かな
205:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:52:59
アッー
206:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:53:00
国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり
保田與重郎
昭和45年11月某日
207:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:53:25
わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ
夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに
保田與重郎
昭和45年11月某日
208:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/31 01:30:56
一流の社交家でもあった三島
11PMにも出演してる
っURLリンク(jp.youtube.com)
209:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/31 10:52:58
へ~
210:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 02:16:22
三島由紀夫は部落民の血統だと聞いたことがあるけど
どうやら事実らしいな。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:15:10
>>210
そんな事実は全くありません
212:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:58:54
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。
また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。
213:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:59:52
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、
これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。
三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。
214:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:04:49
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。
その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。
215:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:08:07
ウィキペディアに「三島は非人の家系だ」
と書いてあったのを読んだ憶えがあるぞ。
216:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:08:10
>>211 正田美智子(後の皇后)とお見合いしてるからね ありえない
217:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 16:06:33
>>215
書いてないよ
私が持っている本には、三島由紀夫の祖父の父親、平岡太吉は裕福な地主兼農家とあるよ
それより前も塩物屋や農家です
結婚するときに杉山家が三島の家系を調査してます
218:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/04 15:36:53
>>216
断ったの?
219:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/06 11:49:39
三島は花嫁の条件に、自分の仕事に口出ししない女性で、文学に興味のない人を希望していたらしい
美智子さんは文学に興味があり、詩を書く趣味もあったため、三島から断ったのではないかという推測者の方が多いようです
真偽はわかりませんが
220:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:21:26
ミッチーはゲイと結婚したくなかっただけサッ!
221:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:36:25
たけしには無理な気がする
222:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:47:44
三島由紀夫の尊属に慥かに非人の血縁者が居たと
書かれていたぞ。
穢多では無かったかも知れないがな。
223:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 17:30:10
↑
三島由紀夫のことが嫌いな共産党工作員の作り話だよ
224:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:06:30
三島由紀夫の娘の紀子さんと、皇太子の浩宮さまは学習院で同級生だったらしいよ
結婚してたら面白かったのにね
225:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:14:44
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
226:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:15:44
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。
227:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:16:38
三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。
机には太宰治の本があったともいわれている。
228:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:23:06
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。
川端康成
229:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 16:40:06
コピペ職人よ、
この文章どっから拾って来てるんだ?
本で出てるなら買う
230:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/11 13:24:30
>>225-227は、ドナルド・キーンや石原慎太郎のエッセイ、ネットで見た川端自殺の情報などを元にして、綴って書きました
>>228の川端の言葉は有名だから結構、さまざまな三島関連本に載っていますよ
ヘンリー・スコット・ストークスとか橋川文三とか、他にもあると思う
231:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:31:18
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。
「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。
川端康成
232:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:39:05
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
三谷信
233:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:39:46
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。
三谷信
234:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 05:25:14
三島には才能のかけらもない
ケータイ小説の産みの親 Yoshi
235:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 16:36:08
ikuzo-?
236:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/14 03:52:43
>>234
むだな抵抗
237:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/15 15:58:38
Yoshi乙
238:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/15 16:07:13
ドナルド・キーンが自死直前の三島から聞いた奇談
学習院の制服を着た少年がどうしても、と三島に面会を求めてきた。
三島は数分だけ、と約束させた上で自宅門前まで出た。
少年は三島に「先生はいつ死ぬのですか?」と問うた。
三島は驚き、言葉を返すことができなかった。
その少年とは清顕だったのだろうか。
239:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 12:34:08
>>238
ドッペルゲンガー、過去の自分だったんじゃないかな
240:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 15:33:06
いつ死ぬのですか・・・(涙
世間から、好奇な目で見られてると感じたのかな。
自分を見たのだとしたら、映像美として残したい一瞬だ。
耽美すぎる・・・
241:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 15:50:29
>>55
死人に口なし
女装爺の言いたい放題
なにを神秘ぶってんだよ
美輪ぐらい三島でやらずぶったくりを続けてるヤツはいない
ペ転&鷺師
242:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 22:59:09
学習院の高等部在学中の三島のノートに
「松ケ枝に降る春の雪」という文章が書かれていたのが見つかった。
春の雪の構想は高校生の頃から持っていたとしたら驚きだ。
243:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 00:19:57
美輪さんは三島を好きだに100モリタポ。
244:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:00:51
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
三谷信
245:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:01:21
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。
三谷信
246:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:01:50
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
三谷信
247:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:02:20
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。
三谷信
248:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 13:22:51
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。
「死と夜と血」
俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時
夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ
死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと
俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ
ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。
249:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 13:23:28
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。
250:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 15:11:35
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。
ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。
251:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 12:21:44
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。
252:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 17:09:17
へ~
253:山田の塩
08/05/04 23:28:28
日清カップヌードルが食べたいのに高くて無理
まるちゃんのレッドフォックスとグリーンたぬ公は食べ飽きたので
日清はそろそろ元の値段に戻して下さい。
254:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 23:51:17
産湯の話はこの人か?
255:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 10:46:55
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
三谷信
256:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 11:17:48
ジャンジャックあげ
257:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 23:37:05
三島「君はとっても優秀な人間だが5%の欠点が君をダメにしているよ」
美輪「5%の、欠点って?」
三島「俺に惚れないことだ・・・」
258:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 12:59:08
すごいな三島
どんだけ自分をいい男だと思って高い位置においてるんだ?
文筆家としては超一流だが、容姿はそれほどでもないのにな
259:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 13:40:09
そういう意味じゃないでしょ
260:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 14:04:47
じゃ、どういう意味よ
悪いが教えてくれないかねえ
261:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 20:20:10
美輪のデマ
262:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 21:57:19
三島が美輪様に惚の字だったんだよ。
美輪様によると。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 11:47:39
>>260
三島由紀夫は、有名作家の自分にすぐになびかない美輪に、ほめ言葉として欠点と言ったんだと思うよ
別に自分の容姿にうぬぼれて言ったわけじゃないでしょ
264:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 23:05:57
>>258
いや、個人的には三島は男としてはかなりいいと思うよ
今と男の価値観が違って昔は、三島や三船や加山雄三みたいなのがいいとされたんだよ
265:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 23:43:31
「男として」という定義も甚だ曖昧だと思うけど
仕事が出来る+態度が確固としているという点では
いい男の部類に入るとは思うよ
だが、甘えるにしてものぼせるにしても
好きな人間を夢中にさせるにはいかんせん容姿が足らん
あれだけ美を追求した三島のこと
それくらいはよく分かっていただろうに
しかし、褒め言葉として欠点と言ったのなら
かなりややこしい人間だな
266:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 11:35:36
ややこしいというより、お洒落な会話にみえるよ
作家だから、わざと反語を使ってユーモアで、気を惹こうとしたんでしょう
267:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 14:29:25
文章表現ならいざしらず、お世辞にもお洒落な会話ではないだろうに
聞かされた方はどうしたらいいんだ?って思うだけだよ
三島は対人関係がへたくそだったんだろうな
268:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 16:18:41
三島由紀夫の、会話上手は有名です。
269:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 21:07:07
有名であろうがなかろうが、少なくとも三輪の件では下手
270:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:23:15
>>269
田舎者には、そう見えるんだ
271:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:51:24
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ。
「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。
美輪明宏
272:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 23:56:35
>>270
そういう紋きりの逃げは恥ずかしいな
世界中たいていの場所へ住める昨今
日本に限定して田舎も都会もない
三島の文章と心理描写と実際の態度は一流だ
しかし三輪とのその会話はいただけない
それだけだよ
273:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 10:37:31
あんたが下手だと思っても、美輪にとっては下手じゃないんだよ
あの会話を美輪は自慢げに、人に語っているんだしね
274:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/19 16:19:40
三島由紀夫「空飛ぶ円盤信じますか。」
江戸川乱歩「ぼくは確証をうるまで信じない方です。心霊現象なんかでもおなじですね。」
三島「ぼくは絶対に信じる。」
芥川比呂志「この間『朝日ジュニア』からアンケートが来たけれども、人工衛星がまわっている世界だから、空飛ぶ円盤だってありそうな気がする。」
江戸川「そういう比論では信じられない。現実に確かめなくては。」
三島「ぼくは頭から信じちゃう。そして、ぼくはお化けはきっといると思うの。(笑)」
山村正夫「心霊実験も信じますか。」
三島「信じますね。」
275:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/21 21:08:33
URLリンク(www.geocities.jp)
檄文 三島由紀夫
URLリンク(www.geocities.jp)
演説文 三島由紀夫
276:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/25 21:02:15
三島邸って大森からだとどうやって行けばいい?
277:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/26 22:02:33
>>276
住所は大田区南馬込4丁目32ー8みたいだよ。
ところで三島邸ってまだあるの?
278:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/31 23:31:39
人権擁護法案が通ると、在日、朝鮮総連が三島由紀夫の文化防衛論を発禁にするおそれ。
67:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:11:01
三島由紀夫も発禁だな
よろこんで在チョンとかが申請しそうだ
んじゃなくても『文化防衛論』とか事実上の発禁だし
74:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:59:26 [age]
>>67
三島由紀夫の「文化防衛論」は、絶版にされちゃうだろうね。
三島由紀夫は、朝鮮人問題(韓国人じゃないよ)の欺瞞、日本に北朝鮮学校をつくり都知事の許可を得て、反日教育をほどこす北朝鮮人の欺瞞、民族疎外を革命に利用する欺瞞と偽善について述べているからね。
昔から見抜いて警告していた三島由紀夫はすごい。
279:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/31 23:33:45
人権擁護法案、外国人参政権、反対
URLリンク(tk01050.blog27.fc2.com)
280:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/01 02:08:44
>>277
ありがとうございます
表札だけでもおがんでみたくて
281:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/05 16:24:08
三島由紀夫原作:鹿鳴館
6月6日~29日 新橋演舞場にて公演
URLリンク(www.shochiku.co.jp)
282:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/09 18:26:21
三島由紀夫の子孫がDAIGOってこと?
283:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 14:58:48
>>282
遠い親戚なんじゃないの?
284:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 15:05:12
>>257
これは女を口説くときに使えそうなセリフだね
285:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 18:15:28
ウホッ使える
286:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:30:55
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より
287:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:31:46
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より
288:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:32:18
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より
289:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:35:37
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より
290:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:40:47
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。
三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より
291:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:41:26
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。
三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より
292:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/14 18:20:45
アツイね
293:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 12:32:57
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
294:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 12:33:27
われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
295:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/19 23:54:02
三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。
その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。
辻井喬
296:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/19 23:58:59
飲み会では三島はすぐ帰ってたらしいね
297:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 10:52:39
毎日規則正しく時間を決めて、夜から朝にかけて書斎で執筆してたそうです。
298:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 11:01:59
とある銀座のバーで。
石原慎太郎「三島由紀夫を殺したのはお前だ!」
美輪明宏「そうよ、三島さんを殺したのは私よ。今度はお前を殺してやる!」
石原「何言ってんだい……ブツブツ」
石原すごすご逃げてゆく…
299:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 17:22:01
猪瀬直樹著『ペルソナ』に出ていたマダムX(三島と4年間恋人だった満佐子という女性)のことが書かれた本が出版されてます。
岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)
300:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 10:02:35
300
301:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 12:01:51
今日の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。
302:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/23 11:13:30
■ラルク関連記事
ラルク新曲は三島由紀夫『金閣寺』の影響か
URLリンク(www.222.co.jp)
303:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/25 23:45:43
宇多田ヒカルも三島ファン
304:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/26 11:57:44
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。
保田與重郎
「ただ一人」より
305:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/26 11:58:29
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。
福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より
306:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 03:48:41
三島由紀夫がかっこよすぎる
307:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:05:11
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。
保田與重郎
「天の時雨」より
308:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:05:48
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。
保田與重郎
「天の時雨」より
309:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:09:59
三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。
310:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/03 11:28:29
東京都知事・故青島幸男氏は三島の割腹を聞いて
「オカマのヒステリー」と揶揄し、青島自身はTVで楯の会制服を着て
横の会と称しコントを行なった。
このような氏であったが、数年後、シンガンス釈放事件について
マスコミから追求されると、マスコミ取材は居留守をつかい逃げ回った。
三島と森田の検死解剖は慶応大学医学部解剖学教室が行なった。
珍しいということで、当時、慶應大医学部学生に公開された。
三島は臍下を左から右へ13cm切り裂いていて腸が飛び出していた。
三島は舌も噛み切っており、検死解剖にあたった教授は
三島の壮絶な気概をを感じるとコメントを残している。
両氏の遺体は一時、警察の車庫内に安置されたが
車庫前に警察官達自らが献花台を設置した。
警察官が加害者の遺体に献花台を設けるのは珍しいこと。
全共闘のリーダーが献花に訪れたのは有名な話。
このリーダーはその後、自死された。
311:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/04 14:08:24
青島なんか単なるチンカス都知事、死んでも誰も惜しまれず。
312:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/07 16:34:32
三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。
鶴田浩二
313:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/08 15:40:46
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」
三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」
鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」
三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」
「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より
314:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/10 16:52:33
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
315:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/10 16:53:26
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
316:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/11 12:39:53
潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』
三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。
317:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/12 10:24:30
神島いきたいなあ
318:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/13 21:02:20
美輪と三島はきってもきってもきれない縁
319:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/15 11:14:57
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」
三島由紀夫
320:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/16 17:15:57
聡子さんが門跡になった月修寺のモデル円照寺の
第10代山本静山(じょうざん)門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王でした。
URLリンク(urano.org)
321:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/22 14:52:55
大東亜戦争の意義(1)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
大東亜戦争の意義(2)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
大東亜戦争の意義(3)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
大東亜戦争の意義(4)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
322:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/22 15:21:50
右翼って昔と今じゃ違うもん?
323:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 03:46:43
共産主義が実質敗北したから右左の区別は曖昧になってる。だから右左は昔みたいに明確な線引きは出来ない少なくとも今の日本では
324:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 05:06:36
>>322
そもそも右翼と、すべて悪いかのごとく日本の愛国を断罪したのは先勝国と、それに便乗した共産党、朝鮮中国。
325:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 13:32:59
割腹したあと解剖で肛門から何人分の精液が検出されたんだっけ?
326:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 14:00:34
>>325
それ事件直後に朝日新聞系が流したデマだと聞いたよ。いったいいつまで昔の時代のデマありがたがってんの?
>>136-137を参照。
327:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 10:12:07
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。
自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より
328:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 10:13:07
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。
その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より
329:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/04 16:41:05
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
330:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:18:53
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
331:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:20:29
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
332:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:21:23
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
333:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:52:05
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。
小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より
334:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:02:28
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
335:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:03:17
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
336:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:06:47
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。
国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
337:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 00:13:27
麻酔で眠ったことある?
麻酔で眠っている間は無意識で夢は見ないと言われています
死という感覚は麻酔で気を失った状態が永遠に続くようなものだと誰かが言ってました
338:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/02 12:26:57
へー
339:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/03 15:13:24
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。
西尾幹二
340:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/03 16:55:41
>>26
公務員試験の席次が150番とか180番だったから大蔵にいてもまず
本省局長にはなれなかった。最初の配属先は銀行局だかの超マイナー課。
期待の新人エースなら官房秘書課、文書課或いは主計局に配属される。
だいたい大蔵で次官・局長目指すなら一桁合格じゃないと無理な訳で
退官して正解
341:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 02:02:42
ここのスレ主さん的に
映画「MISHIMA」はどうなの
342:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 10:31:14
>>26>>340
大蔵省をやめてから作家になったわけじゃなく、その前から作家だったからね。
343:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 10:49:18
>>341
まだ全部ちゃんと全般的に見てません。
三島の薔薇刑をとった写真家の話だと、実際の三島とは違う描かれ方をしているらしいし、
海外の映画監督から見た三島像、ミシマという実際の三島由紀夫とは少し違うある一人の芸術家を描いた映画として見ればそれなりにいいんじゃないでしょうか。
344:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 22:02:08
なんだ、見てないのか
では映画「憂国」はどうですか
345:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/05 12:28:05
>>344
小説より、妻の心理描写が巧く描かれていたと思うし、切腹の迫真で怖かったよ。
あなたのミシマと憂国の感想はどうですか?
346:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/12 21:26:59
三島論
URLリンク(www.geocities.jp)
347:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/22 17:04:53
三島ほしゅ
348:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 00:53:03
NHKのアーカイブで川端と三島と志賀の対談見たとき
川端は年下の三島に精神的甘えてるように映った。三島もそれを
受け入れてるような間柄に見えた。親が子供に甘えるような感じ。
三島が割腹する前に川端も自ら命を絶ってしまった。
349:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 00:56:40
>>337
麻酔で眠ったことは2度あるけど
2回ともものすごく怖くて奇妙な夢を見てうなされたよ。
麻酔が醒めかかったときだったのかな。
350:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 15:05:04
>348
川端が自殺したのは三島切腹の約一年半後だよ。
351:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/04 13:37:48
三島由紀夫の妹は敗戦後まぎわにチフスで17歳で死んで、そのとき聖心女子学院生だったけど、
『朱雀家の滅亡』のなかで制服で出てくる璃津子について三島は「僕のノスタルジーだよ」と言ったらしい。
璃津子(ritsuko)は
妹の名前、美津子(mitsuko)の音(iuo)を表していたのかな。
もしかして、美智子皇后とお見合いしたのも、妹と同じ聖心女子学院だったからかもしれないと、ふと思った。
お見合いの前か後かは判らないけど、美智子さんの聖心女子大の卒業式も三島は見に行ってたらしい。たぶん聖心だったからだと思う。
352:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/11 17:55:25
天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
************
岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。
同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。
このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
岡潔先生曰く。
「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」
編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、
不滅の真理かのように思いこんでしまっている。ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。
353:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/29 15:41:13
三島由紀夫氏、没後三十八年『憂国忌』の御案内
============
記
とき 11月25日 午後六時(五時半開場)
ところ 九段会館 三階「真珠の間」(地下鉄「九段下」)
記念講演 評論家 西尾幹二氏
演題 「三島由紀夫の死と私 ―限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」
ほかに発起人の追悼挨拶があります。
代表発起人 井尻千男、入江隆則、桶谷秀昭、嘉悦康人、小室直樹、佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、中村彰彦、細江英公、松本徹、村松英子
(当日、一般入場者の会場分担金はおひとり千円)
皆様のふるってのご参加をお待ちします。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/06 12:00:59
URLリンク(www.nicovideo.jp)
緒形拳が演じる三島由紀夫の最期
355:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 12:57:06
今年もお墓に行きます
白菊と葉巻を持って
待っていてくださいね(^-^)
356:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/26 14:51:31
褌が似合う三島由紀夫
URLリンク(www.vipper.org)
URLリンク(www2.vipper.org)
357:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:30:34
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
358:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:31:59
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
359:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:32:40
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
360:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/06 16:51:04
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、振付家)がいますが、
1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・ディテール)は、
三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」
フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。
361:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/22 11:13:55
(「共産党」を「民主党」に置き換えると現代にも通用する)
↓
『わたしにとっての共産党』三島由紀夫
日本共産党と自民党は同じだ。どちらも議会主義、憲法擁護を表看板にし、それでは何もできないことを知つてゐる。
理想を放棄してゐるんだ。また大衆社会といふ白痴美の女をねらふ二人の男にたとへられる。
二人ともメガネをかけて一見、紳士風。男性化粧品をふんだんに使つて「結婚しても決して暴力はふるひませんよ」といつてゐる。
ただ、この勝負、共産党のほうが、女の財産をねらひ、骨までしやぶらうとしてゐるだけ有利かもしれない。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/27 15:17:05
皇居参賀・日の丸小旗配布奉仕の御案内を申し上げます。
☆集合時間 1月2日 午前8時20分
☆集合場所 本部テント前(馬場先濠堤・行幸通り側)
☆晴雨に拘わらず実施致します。
☆皇居と東京駅を結ぶ行幸通りに於いて、緑色の帽子を被りながら奉仕致します。
☆参加希望者は不二歌道會(03-3401-0963)または三澤浩一(090-2622-4242)まで御一報願います。
☆開閉門ならびに御立ちの時刻は下記の通りです。
[開門―09時30分]
1回目―10時10分
2回目―11時00分
3回目―11時50分
4回目―13時00分
5回目―13時50分(以降記帳は15時30分まで)
[閉門―15時10分]
363:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/04 13:37:48
西尾幹二の三島由紀夫論
『三島由紀夫の死と私』(PHP刊、上製。1500円)発売中
364:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/08 10:44:49
川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)1/3 -3/3
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
365:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:31:49
▲川端康成と三島由紀夫の関係の堤堯氏の指摘
堤堯氏は雑誌『WiLL』2007年1月号の「ある編集者のオデッセイ」で、三島、川端両氏の間にノーベル賞を巡ってすさまじい確執があったことを書き記しています。
「まあ、運がいいんでしょう。拾いものみたいなものですからね」との鼎談での川端の発言は受賞を謙遜していますが、
ノーベル賞獲得への猛烈な執念を押し隠したもので、その執念を知る三島はどんな気持ちで聞いていたことでしょう。
鼎談の二日前でノーベル賞を受賞する前日の昭和43年10月16日、川端は三島に次の手紙を出しています。
「拝啓 春の海(春の雪ではなく!)奔馬 過日無上の感動にてまことに至福に存じました・・・」
鼎談の時までに、三島がこの手紙に目通ししていたのであれば、川端の雑駁な誤記を胸に深く畳んで収録に臨んでいたのです。
366:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:32:44
受賞発表の17日候補者である三島は毎日新聞に待機して発表を待っていました。川端受賞の報を受けるとその場で祝辞の稿を書き上げます。
「川端康成氏の受賞は、日本の誇りであり、日本文学の名誉である。これにまさる慶びはない。
川端氏は日本文学のもっともあえかな、もっとも幽玄な伝統を受け継ぎつつ、一方つねにこの危うい近代化をいそいできた国の精神の危機の尖端を歩いて来られた。
その白刃渡りのような緊迫した精神史は、いつもなよやかな繊細な文体に包まれ、氏の近代の絶望は、かならず古典的な美の静謐に融かし込まれていた。
ノーベル文学賞が、氏の完璧な作品の制作と、その内面との、文学者としてのもっとも真摯な戦いに与えられたことの意義はまことに大きい。
それはひとり川端氏のみでなく、千数百年にわたる日本の文学伝統と、同時に、日本の近代文学者の苦闘に対して与えられたものと感じられるからである」
実に格調高く、日本人作家としてともに受賞をよろこんでいる気持ちが伝わってきます。
しかしタペストリーの表糸のような、明朗優美な表現とはトーンの異なる、陰影を帯びた鋭利な裏糸が縫い込まれた件りが次に現れます。
367:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:33:36
「人間に対する真の愛情とは?
ここに氏の文学の、表面にあらわれぬ深い主題がある。
すなわち、古典的な優雅な文体の下に、氏の文学には、近代文学のもっとも先鋭な主題『そもそも人間が人間を愛することができるか?』という設問が隠れているからである」
『そもそも川端は人間を愛することができるのか?』
『常に師川端を立て、文学上はもちろん私生活の部分でも細やかな配慮の塊のような弟子三島を愛することができるのか?』と読み替えると、とても鋭利な川端への問いかけとなります。
368:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:34:26
更にこう続きます。
「スエーデンに紹介された氏の作品は『雪国』、『千羽鶴』、『古都』の三篇の由であるが、この中に氏の近年の傑作『眠れる美女』が含まれていないのは残念である」
『眠れる美女』(昭和36年)を、これほど熱意を入れて評価する文壇人、評論家は何人いたのでしょう。三島だけではなかったでしょうか。
翌日のテレビ収録でも「『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね」と牽強付会的に、この作品名を挙げています。このしつこさは異常です。
毎日新聞の三島の祝辞を読んで川端は内心ビックリし、収録時も面を食らったことでしょう。
三島が川端への祝辞記事や鼎談での発言で、『眠れる美女』の作品名を執拗に挙げたのはなぜなのか、奇妙な観をぬぐえません。
369:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:35:16
▲『眠れる美女』に関して
元文芸春秋編集長の堤氏は『眠れる美女』の三島代作説を肯定しています。
もし「代作」なら作品はどのように完成されたのでしょう?
三島がモチーフを提供しただけなのか、下書き的な草稿を作成したのか、川端のモチーフを元に、あるいは川端が書きかけたものを三島が完成させたのか・・・。そういう共作的なものだったのか?
川端作品を三島が「代作」した証拠はありません。その必要も事情も見当たりません。しかしそれにも拘わらず、文壇・出版界に根強く代作説は流布しています。
370:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:47:06
▲「川端康成氏を囲んで」の会話
川端 ― (私の作品を)面白がる人は非常に面白がる。思いも懸けない小説みたいなものを読んだ気がするんじゃないんでしょうか。
三島 ― 私がこれから楽しみにしておりますのはね、川端さんの御作が、これを機会に向こうでどんどん(翻訳されて)出ると思うんですね。
たとえば『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね。
川端さんの作品で非常に構成的でしょう。
371:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:47:53
▲最後の川端康成と三島由紀夫の手紙
昭和47年4月梓(三島の父親)は川端から、彼(川端)が自死する直前に長い手紙を受け取っています。
しかし
「その内容についてはもちろん絶対にノーコメントですが、川端さんのまったく意外な点が実によく表れていて興味をひかれました。
とまれ家宝にして永く大切に保存してゆきたいと思っています」
と封印され公になっていません。
これが「眠れる美女」の三島代作説や川端の三島への思いを明らかにしてくれる(カギとなる)可能性があります。
昭和45年7月8付で三島が富士の演習場から川端に投函した鉛筆書きの手紙がありました。
これは親族(川端の)により焼却されたそうです。
372:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/23 23:14:18
憲法第九条はGHQのニューリーダー(ユダヤ人共産主義者)によって
作られた売国憲法である。憲法第九条を擁護する者は国家を解体し、日
本を共産主義へ移行させようという悪魔の夢を抱いている売国奴である。
373:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/25 00:07:40
『これでいいのか日本の防衛』三島由紀夫
Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?
三島由紀夫:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。
374:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/04 22:56:03
…例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。
小林秀雄
「感想」より
375:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/04 22:56:25
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。
エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。
実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。
小林秀雄
「文学者の思想と実生活」より
376:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 15:55:48
「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。―死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話
377:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 16:03:27
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話
378:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 16:26:29
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに―。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。
K陸曹
三島演説を振り返って
379:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:26:09
●北方領土で長期目標を提議した森田烈士
森田必勝氏の論文は今から丁度40年前に書かれたものです。
同論から、北方領土問題に向けられた森田氏を含めた当時の保守派民族主義学生運動のうねりを感得することができます。
森田氏は民族主義運動の学生仲間と札幌、根室などを訪問して、現地の人々と交わり復帰運動の現状を探ります。
そこから自分たちの推し進めている学生運動が北方領土問題とどう取り組めるか、どんな役割が果たせるかを自分たちの「使命感」を持って真剣に模索します。
民族主義運動として、その存在をかけて何がやれるかを熱心に追究します。
論文のタイトルにあるように、森田氏は「北方領土復帰運動」を「民族運動の起爆剤」にしようと志向しています。
森田氏は北方領土に関して、政府も漁民も立場上言えないような主張を代弁することが学生としてできないかを現地で実直に思案します。
エリート学生(当時の大学進学率は低かった)として、高踏的に復帰運動を俯瞰しようとはしません。地に脚のついた立ち位置をとろうとします。
380:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:27:03
現地では、まず復帰運動に関わる漁民ら住民との微妙なギャップを知らされます。
森田氏らは「全千島、南樺太奪還」のスローガンを掲げているのに対して、彼らは「国後、択捉、歯舞、色丹返還」の違いがありました。
政府と地元で行われている官製運動の形態と、それらの限界にも目を向けます。
「領土に対してもっと厳粛な気持ちになって、たとえ一片の土くれ一塊の岩石であっても、我が国の領土ならばこれを守り抜いてゆく、即ち領土に対する厳粛な継続者であるということを民族の遺言に植えつける必要があると思う。
こういうことから私は、北方問題は南方問題でも同じように言えますが、これは “民族の遺言運動だ”と言いたい」
という北海道庁領土対策本部長の言葉に森田氏は感じます。
「(北方領土問題の解決は)極めて悠長だが重要で」、「世代から世代へ、親から子へと受け継がせていかない限りこの民族の怒りの火は消えてしまう」 と森田氏は思うからです。
381:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:27:42
●迸る領土返還への情熱と愛国心
森田氏は「北方の島々がまだ当分還ってこないとすれば、長期的、持久戦的視野も重要だ」と指摘します。
それから40年経て北方の島々は還ってきていません。進展も見ていません。
進展はありませんが、北方領土問題でソ連やロシアとの交渉に長年あたってきた諸氏はいます。過去十数年間の交渉の実態を知る資料のひとつとして、2006年上梓された『北方領土「特命交渉」』があります。
森田氏は自問します。
私たちは何のために「北方領土復帰運動」をおこなうのだろうか、と。
「たとえ、ソ連が何十年居座ろうとも、われわれは日本民族の闘いとして、この運動を続ける」と根室市での懇談会で、ある老人の発した言葉に森田氏は揺すぶられます。
いっさいの理屈を超えたところに「北方領土復帰運動」があるという老人の発言は明快そのものです。森田氏が老人の心意を直観したのは言うまでもありません。
親子の間の愛について理屈を説いて説明する必要がないように、「日本民族」はそれを育んでくれた「日本領土」への愛しみがあります。両者が一体であることに理屈はないのです。
382:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:28:20
何者かに民族が領土から剥がされ、その一体性が奪われたのなら、領土を奪い返して愛を回復することは当然です。
奪われた北方領土を取り戻そうとするのは日本民族の本源的な情動です。
森田氏は、「この老人の一言に、おそらく私たちすべての立場は代表される」と深く感動します。
森田氏にはこのように魂の叫びに共感する感性があります。
森田氏は1960年代後半当時の国際情勢をつぶさに分析しています。
それと北方問題を照応させ、この運動は長丁場になると的確に押さえます。
「北方領土復帰運動」を、「失われた民族心の回復と、祖国への誇りの回復」 と位置づけ、「この闘いを勝ち抜くのである」と宣します。
森田論文が発表された昭和43年(1968年)当時、民族主義学生運動という熱いうねりがありました。
この学生運動が真剣、真摯であったのはその時代の様相を反映していたのでしょう。
383:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 21:31:25
【MAD】椎名林檎 メロウ 三島由紀夫に捧ぐ
URLリンク(www.nicovideo.jp)
● メロウ ●
橙色は止まらない
黄色を探して乗り込め
お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える
蔑んでくれ
僕は何処迄も真摯なのだ“至って普通さ”
いま群れ為す背中
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?
意識は希望に素直じゃあない
回避するなんて止めておけ
お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ
引き攣ってくれ
僕は此処でお前に云うのだ“愛しているさ”
いま赤く染めた
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?
美しい予感・目に映る全て・儚き事象
要らぬ もう 要らぬ
嗚呼・・・
384:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/20 15:39:59
2chスレに駐在する三島信者のオバサンは
三島美化のためなら平気で真偽の定かでないコピペをするからな。
しかも時にそれに混ぜて三島美化の作り話までさも真実の記事のように掲載する
から恐ろしい。
385:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/20 17:00:25
私のは、ちゃんと出典書いてるし、ほとんど三島由紀夫全集からの引用です。
あんたが三島を知らないから嘘にみえるだけ。
386:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/27 11:29:10
平成2年11月25日
「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
演奏 東京フェスティバルオーケストラ
(黛) 三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉「我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。」
この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。
387:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/27 11:33:17
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。
あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。
388:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/27 11:37:01
あなたがもし、政治家だったとしたら、こんな方法は絶対にとらなかったでしょう。
あなたが意図したことはだから、自衛隊に決起を促すクーデターではなかった。心ある人々の魂にぐさりと突き刺さる精神のクーデターだったのです。
(間)
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
三島さん、二十年前、あなたがあの壮烈な死を遂げられた直後、私は「題名のない音楽会」でいま言ったような弔辞を捧げました。
そして、あなたが自らの死を以て暗示してくれた精神的クーデターは近い将来、必ず起こるはずだから、どうか、あなたのこよなく愛したこのワグナーを聴きながら、幽明境を異にした天界で日本の将来を期待とともに見守っていて下さい。
このようにお願いをしました。それから二十年。日本は変わったでしょうか!
残念なことに、本当に残念なことに少しも変わってはいないのです。あなたが、死を賭して訴えた自衛隊の問題にしても未だに決着はついていません。
三島さん、あなたの名前は今でも一種のタブーです。あなたの数々の作品は芸術的には高く評価され、あなたの才能を疑う人間はいないけれど、あなたの思想は依然として危険視されています。
389:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/27 11:41:54
いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない」。
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。
しかし、今までの二十年と同じくあまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。
ともあれ、いま、幽明境を異にしたあなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。
その愛の対象が果たして人間なのか、祖国なのか、民族なのか、天皇なのか、はたまた自分自身なのか、それはいま問わないことにしましょう。
三島さん、どうか安らかに眠って下さい。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
(万雷の拍手)
390:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/03 00:10:38
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
391:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/03 00:11:01
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
392:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/03 00:11:28
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。
日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。
良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。
そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
393:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/03 00:11:54
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。
だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が保たれたかといふと、さうは思へない。
第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。
人間とは本来、さういふものである。
…将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。
…だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としてのICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、
つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに達した時であらう。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
394:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/09 22:37:56
三島由紀夫 インタビュー
URLリンク(www.nicovideo.jp)
395:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 23:54:29
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。
川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
396:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 23:55:45
この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。
川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
397:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/13 00:21:24
こわい
398:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/16 10:48:52
あーあ、今回の独立宣言を作るという話は、どうも企画倒れに終わりそうだな。
そう思いながら、新潮学芸賞を受賞した徳岡孝夫さんの「五衰の人―三島由紀夫私記」を読んでいたら、なんと、びったりの文章が出てきた。
四半世紀も前、三島由紀夫が自決したときの「檄」の一部にこういうところがある。
「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。」
まさに、今の日本そのものじゃないか。まずこの一文を、日本の独立宣言文の冒頭に掲げるところから始めようかと思ったよ。
ビートたけし
「憲法爆破」より
399:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/16 16:02:23
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
400:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/16 16:04:10
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
401:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/16 16:05:13
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、
奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。
注文後、一年ほど商品が着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
402:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/27 11:59:49
『週刊新潮』と『週刊文春』が偶然にも三島関連記事
今週発売の週刊誌にいくつか三島由紀夫の記事があります。
ひとつは週刊文春の、゛皇室ジャーナリストが覗き見た三島由紀夫の生首゛という現場写真のない「家政婦は見た」風な平板な記事です。
クゥデタが進行している現場室内を一記者が覗き見ていたとは自衛隊の体たらくさが窺われます。
五人の決起部隊は人質にした益田総監が自決することを案じましたがまったく杞憂でした。
生々しい現場の様子は、ヘンリー・スコット・ストークス氏の『THE LIFE AND DEATH OF MISHIMA』のギリシャ語版193ページを見開いた左側の一葉の写真にあります。英語版、日本語版にはありません。三島氏と森田氏の首が並べられ、断ち斬られた首の断面から下も写っています。
403:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/27 12:03:58
もうひとつは週刊新潮の゛「美智子さまと三島由紀夫」のお見合いは「小料理屋」で行われた゛という記事です。
毎日新聞のバンコック特派員だった徳岡孝夫氏が昭和42年インドからの帰途そこに立ち寄った三島から ゛僕は美智子さんとお見合いしたことがあるんですよ゛と聞いたそうです。
「家族一緒に歌舞伎座かどこかで芝居を見て、食事をしたんだそうです」と徳岡氏は述べています。
如何なタイトルかと思い精読していませんが徳岡氏は三島評伝『五衰の人』にバンコックでの三島について詳しく(悪所通いの件まで)書いていますが、美智子さまとのお見合いの話がその時三島から出たと書かれていたか手元にないのでわかりません。
記事のタイトルにある「小料理屋」とは銀座六丁目の小さいながらも高級官僚御用達だった割烹「井上」で、ここの女将がかつて新潮の記者に「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と語っていたそうです。
徳岡氏の話と繋げると三島と美智子さまは歌舞伎座からこの「井上」に回ったのでしょうか。「井上」は平成五年の時点で土地と建物が塩尻市に寄付されていますからもう営業はしていません。
歌舞伎座も来年取り壊されます。
記事は「昭和45年11月25日、新宿の自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫は割腹事件を起した。美智子さまは、その報せをどのような思いで聞かれたのだろうか」と結ばれています。
お見合いに臨んだ両家の生存者は今や美智子さまだけです。
404:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 14:01:33
ケント・ギルバート氏を招いて「私の卒論もミシマ・ユキオだった」
弁護士、タレントとして活躍のケント・ギルバートさんを招いて公開講座です。
じつはケントさん、たいへんな親日家であることはご承知の通りでしょうが、卒論がミシマ・ユキオだった。そのあたりから日本文化と米国文化の違いなどを雑談もまじえて語っていただきます。
記
とき 4月24日(金曜日) 午後六時半(六時開場)
ところ 市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」四階会議室
講師 ケント・ギルバート
演題 「私の卒論もミシマだった」(仮題)。
会費 2000円(会場分担金として)。賛助会員ならびに学生=1000円
△
終わってから近くの居酒屋で「懇親会」があります。別途会費3000円を予定。これは希望者のみです。
405:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 14:06:32
ケント・ギルバート氏から篤いメッセージが届きました
「なぜ私は三島由紀夫『春の雪』に惹かれたのか?
大学一年生のときに、教会からの指示で日本へ伝道に行くように言われ、選ぶことも断ることもできないまま日本に渡った。そこで日本語を学び、帰国後は大学で日本文学を学んだ。
モルモン教徒として厳しい戒律の中で生活していたとき、三島由紀夫の「春の雪」と出会い、自由奔放に生きる主人公の姿に感銘して三島由紀夫を読むようになった。
英訳本は知りうる限り全て、後には日本語版で可能な限り読破した。学生時代、三島に関する論文も書いた。
大学時代、最初は英訳本を読んでいたが、だんだん日本語版で読むようになった。
1975年、沖縄海洋博覧会のときにスタッフとして招聘され、再び日本の地を踏む。その頃はある程度自由に日本語を操ることができるようになっていた。
大学に戻って法律大学院(ロースクール)に通っていたが、同時に日本文学学科の日本語教師を兼任していた。
モルモン教は自死を厳しく戒めているが、それは「私の世界」での自死であり、三島由紀夫の死は、モルモン教が規定している自死をはるかに上回る死である。
教徒である私(ケント)自身、三島の死の意味を、今尚考え続けている。
三島の死を考えるとき、天皇の存在を抜きには考えられないのだろうが、「究極の価値」ということなのか、と漠然と感じている。
残念ながら「文化防衛論」をまだ読んでいないので私(ケント)にはまだ天皇の本質的意味を理解できずにいる。
三島由紀夫も、時代の戒律の中で生き続けたが、作品の中では自由に、奔放に人間模様を描いている。人の生き方、存在を、もっともっと三島から学ぶべきことがあるのではないだろうか。
英語の世界(アメリカ)で、最も知名度の高い日本文学者は間違いなく三島由紀夫である。それは、作品の完成度の高さに由来すると思う。
川端文学は、結論がはっきりとしない。遠藤文学はキリスト教を題材にしているが故の評価である。それ以外はほとんど知られていない。
川端よりも三島こそがノーベル文学賞にふさわしい作家であると思っているが、なぜ三島でなく川端だったのかについても疑問に感じている。それを解明したい。
406:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/24 17:03:21
四谷三丁目近くの通称「河童池」と呼ばれる湿地帯近辺に住んでいる鉄筋屋の息子がゲイだそうです。
国立競技場のトレーニング・センターへ通っていたことがあるらしいので、
このアホ息子を見かけた人もいるかも知れませんが・・・(同競技場の水泳教室にも通っていたとか)・・・
人並みに日本国内の大学へ入れないために、仕方無くアメリカの三流大学へ
「語学研修」のようなかたちで送り出されたそうですけれど、その後はグレてしまって
たいへんなありさまだとか。
参考までに
407:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/07 23:54:07
あなたの手の傷はけっして治らないだろう
僕は信じてさえいればいいと思ってた
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも僕の心臓の鼓動?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
無意味な歳月が瞬時に過ぎ
無数の人々がよろこんで命をあなたに捧げる
生き残るものは何もないのか?
自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまう
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
デヴィッド・シルビアン&坂本龍一
「禁じられた色彩」(三島由紀夫「禁色」からインスパイア)より
408:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/12 18:02:26
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。
パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。―
増田元臣
「美しい人間の本性」より
409:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/12 18:04:44
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。
私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。
その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。
…数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか―」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。
以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
410:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/12 18:07:24
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、
「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
411:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/12 18:08:54
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
412:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/12 18:12:26
なぜ三島由紀夫wwwww
413:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 12:55:54
兵役逃れのバカ三島由紀夫は石ぶつけられて死ねよ
兵役逃れのバカ基地害が『復古主義』『愛国』『国防』『右翼』だっておwwwwww
まずお前が兵隊に行けや、卑怯者。何でコイツを非国民扱いしないんだ?
三島は結局、下民は好きなだけ戦争で殺してもいい体制を作って貴族になりたいだけの下衆、人民弾圧思想者だ
コイツの本は燃やして、出版禁止とすべき。
414:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 12:57:07
いいか屑ども
次スレタイに『兵役逃れ』『クソ華族』と入れろ 分かったな
人民弾圧と搾取と特権階級支配体制を目論む卑劣な非人間、先祖代々汚物のバカ三島由紀夫は性病野郎だ
415:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 12:59:38
こいつ、自分は特権階級者だから兵役逃れたいニダwwwwwwwって逃亡した奴じゃん
なぁ~にが『盾の会』だよwwwwwwwwww
自衛隊兵士も、卑劣漢の臭いを嗅ぎ取って、嘲笑したらしいじゃんwww
素晴らしい
三島由紀夫はコンクリ詰めにして北朝鮮に流すべき
416:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 14:56:29
天皇護持ってだけで、復古主義だの貴族だのって決めつけるって、どんだけ脳足りんなんだろ。
三島の著者も作品も一つも読んでない証拠だね。きちがい反日がバカ丸出しだわ。
417:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 16:03:49
>>416
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます
418:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 16:06:11
当時、病気で兵役につけない人でも非国民呼ばわりで弾圧されたのに、
華族の倅の三島さまは兵役逃れしても何の不利益もありませんでした
戦後は国防、9条廃止、天皇護持について勇ましく語っておられます
まさに、私が尊敬する牟田口中将のような方だと感銘を受けました
419:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 16:13:16
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
URLリンク(ja.wikipedia.org)
おーい 盾の会会員さん 説明してくだされ(笑)
420:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 16:55:26
三島の父親はキャリア官僚でもないし、華族でもないよ。兵役逃れじゃなくて医者の誤診。
ネットの捏造情報を盾にしてるバカな中国共産党のスパイがご苦労様でした。
421:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 16:59:54
>>420
ババアが華族だったんだろ?
ちゃんと兵役についてから大口叩きましょうね^^
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
URLリンク(ja.wikipedia.org)
422:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:03:57
何で三島由紀夫教祖さまは兵隊に行かないの??
おいおい、まさか偉大なる三島閣下が仮病なんてことは無いよなぁ?
423:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:05:47
兵
役
逃
れ
424:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:14:15
こういう荒らし見てるとますます日本は憲法改正しないといけないと思う。
425:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:16:48
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伝統(笑) 皇室(笑) 盾(笑) 決起(笑) 国体(笑)
426:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:27:21
熱や肺の診察は騙せないよ。
427:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:30:59
>>424
三島スレに来て邪魔しに来るのは護憲の中国共産党スパイだからね。
428:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:33:06
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます
429:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:42:10
絶対安全な場所から軍国主義思想を唱えてる奴なんて誰が信用するんだw
戦場に行って反戦主義になった人
戦場から逃亡して軍国主義になった馬鹿
↑人間の恥・三島は過酷な戦場で戦った兵士に土下座して首釣れ
430:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 17:44:11
愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。
愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。
431:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/16 21:33:21
三島は国防や憲法については論じてますが、愛国とは叫んでないし軍国主義でもありません。むしろ愛国という言葉は嫌いと言ってます。
三島を批判するなら、もっと三島の論文を読んでから出直してください。次元が低すぎて話になりませんよ。
432:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/18 10:49:03
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」―ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
433:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/18 10:49:55
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死についてしゃべった―
そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
434:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/18 10:50:40
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
435:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/23 23:46:13
田母神塾 #02
URLリンク(www.nicovideo.jp)
436:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/02 01:55:56
「見出された恋」読んだ方、面白かったですか?
文章が難解だって噂で聞いたんで
437:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/02 11:01:17
難解ってほどでもないですよ。
文章も優雅で、三島と満佐子さんのことが描かれていて興味深かったよ。満佐子さんにフラれた三島が気の毒でした。
438:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/02 16:56:55
三島由紀夫の愚かさのほとんどがアンチ三島由紀夫板に凝縮されていますね
徴兵忌避から三島思想が実は生長の家という宗教の思想であったこと
三島の割腹自殺は現人神思想によるもので、自決することによって
天皇と三島が一体化するという図々しい思想であったこと
ついでに三島が右翼思想になったのはノーベル賞が関係している
三島が「宴のあと」でノーベル賞を逃したとき、ドナルドキーンは審査員が
三島は若いし左翼思想だろうからだめだ。といい加減なことを言って三島の作品を退けたことを
三島に告げたら、あらら熱心な憂国者になりましたとさ。
バカなんだよね。そもそも日本のノーベル賞は敗戦国にも適当に受賞を散らさないと
不公平だろってことで、日本の文壇の権威に与えられることは決まってたのに、
三島は馬鹿だからドナルドの言を信じきって過激憂国アッピール!ww
三島はノーベル賞欲しかったんだねwドナルドもそう語ってるし、ノーベル賞が三島にいってれば
三島は死ななかった語っているね
ちなみに楯の会はゲイ三島が自分好みの若者を集めた集団でまともなものじゃなかった
三島は自決する道連れが欲しかっただけなんだ