三島由紀夫の噂at UWASA
三島由紀夫の噂 - 暇つぶし2ch119:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/29 17:44:16
三島っておかまだったんでしょ

120:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/30 11:16:17
>>118
霊が邪魔して、連絡が取れなかったらしいです。
>>119
いや、人間だれしも、心を許しあえると仲良くなる。
和気藹々と話をしていると深夜になる時もあるよね。

深夜に二人で過ごした。⇒それが誤解の元になる。だけかもよ。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/30 12:33:33
>>119
おかまはおかまを好きにならないから、おかまではない

122:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/30 22:28:53
>>120
悪霊のせいだね

123:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/31 23:30:01
●テレビ朝日新春ドラマ『鹿鳴館』放送
影山伯爵役:田村正和、伯爵夫人の朝子役:黒木瞳
1月5日 21:00~

124:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/02 00:00:59
>>119
おかまは女装する男

125:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/03 13:44:38
天使のふりした悪霊は美輪

126:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/03 14:15:32
(三島は)物差しやハタキのような長いものを持ってこれをこれを振り回すのがとても好きでした。……やがて危ないというので、母(三島の祖母、夏子)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。

平岡倭文重
(三島由紀夫の母)


127:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 17:04:54
三島由紀夫
「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」

武田泰淳
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」

三島
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」

武田
「それはやっぱり、強気でいてもらわないと…」

三島
「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。(略)」

私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。

田久保英夫


128:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 17:07:32
左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。

三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、またその美的知性の故に、
その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。

山岸外史


129:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/05 12:23:05
今夜9時から三島由紀夫原作、鹿鳴館

130:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/05 23:12:38
田村まさかずがいい味出してたw

131:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/05 23:54:35
猿岩石の有吉が撮影スタッフに暴言騒動
スレリンク(streaming板)

132:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/06 17:16:31
【新春】鹿鳴館【テレ朝開局50周年】
スレリンク(tvd板)

133:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/07 01:21:07
>>128
へ~

134:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/07 11:23:17
自決後、司法解剖したら三島の肛門内から何人か分
の精液があったというのは本当ですか?

135:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/07 12:18:53
全くの嘘です

136:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/07 14:27:23
よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、その場にいた当事者の証言からほぼ死因が特定されているこの事件の場合、肛門内まで調べる訳ないし、
決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、
新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。


137:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/07 14:28:44
つづき

森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、
新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。
三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。
朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。
これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、確定していることである。


138:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/11 00:05:09
料亭 末げんには
三島由紀夫最後の晩餐メニューというのがあるよ

139:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/12 22:26:33
趣味悪ィ

140:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/13 23:44:32
URLリンク(mobile.gnavi.co.jp)
「わ」コースが三島由紀夫が食べたメニュー

141:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/15 14:41:10
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという根拠にはなりえない。
また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。
それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。
三島氏の文学と思想を貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。

磯田光一

142:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/15 14:41:52
三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、徹底した復讐をすることであったと思われる。
イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。
この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能以外の何が心を惹いたであろうか。

磯田光一


143:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/15 14:42:42
ぼくにとっていまでも驚異に思われるのは、三島というひとが、あんなに明敏かつ冷徹な批評家的、懐疑家的な眼と、あんなに度の高い情熱とを、どうして併有することができたか、ということである。
情熱家は、世のなかに少なくはないだろう。しかしあのような最期をとげ得るほどの人物が、ほかにどれだけあるか。
また冷静な合理主義者の数は、多いだろうが、死の最後の瞬間まであれほど冷徹に計算し、実行し得るひとは、稀だろうと思う。
しかも驚くべきことに三島氏はその両者をわが身に併存させていたのだった。

村松剛


144:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/16 20:26:04
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。

呉智英


145:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/25 16:54:33
淀川長治「三島さんは首から下は北海の荒海の漁師だけれど、首から上は明治美人ですね」

三島由紀夫「それは僕の顔が馬面だと言ってるんでしょう(笑)明治美人というのは面長のことをいうんだから」

私みたいな者にでも気軽に話しかけてくださる。自由に冗談を言いあえる。数少ない本物の人間ですね。
もっともっとよい本をいっぱい書いてほしいですね。
あの人の持っている赤ちゃん精神。これが多くの人たちに三島さんが愛される最大の理由でしょうね。

淀川長治


146:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/25 18:01:37
三島は「人斬り」(五社監督)に田中新兵衛役で出演している
史実通りに切腹自害する

主人公の岡田以蔵に勝新太郎

チョイ役だが坂本竜馬の石原裕次郎は明らかにミスキャスト

147:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/27 00:37:12
三島由紀夫は、幕臣の永井尚志の孫の孫


148:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/27 11:23:04
介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。
そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。
これはいったい、何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。ところが、その後の調べで、倅の周到な処置であることが判りました。

平岡梓


149:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/27 11:25:36
というのは、こういうことです。倅は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。
しかし、森田君はどうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。
そして、森田君の希望により倅の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。
かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。
自分自身が割腹に使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。

平岡梓


150:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/31 14:51:09
床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。

その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。呪いにかけられた坊やはここにいる。

島田雅彦


151:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/01 15:38:38
公威は幼少のころから日本古来のしきたり、行事というようなものがとても好きで、またこれらを大事にいたしました。
母の躾けのせいもありましたろうが、神社の前などに参りますと、どんな小さな祠でも何びとの指図も受けず、自らすすんで必ず丁寧に参拝し、お辞儀をしないで通りすぎるというようなことはありませんでした。

平岡倭文重


152:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/01 15:39:28
これは子供の時代ばかりでなく、ずっと大人になってからも続きました。
毎年の豆撒きの時など、先頭に立ち、孫達はすぐ飽きてしまって逃げ出すのですが、公威は一人になっても物凄い大きな声で、「鬼は外、福は内」とどなりながら豆を撒き、
それから家族中に各自の年より一つ多い数の豆をひろわせて十円玉と一緒に包ませ、自分みずから近所の四つ角まで持って参り、帰りには掟な従い決して振り返らないという調子で、これには親の私もついていけなかったものです。
この念には念の入った信心振りは死ぬまでやめませんでした。

平岡倭文重


153:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/01 17:03:28
いつも書いてる人お疲れ

154:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/03 11:29:15
僕は詩人だ。一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。もう一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。
ぼくはどこまで剥いても芯のない玉葱だ。

三島由紀夫


155:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/04 16:06:25
金閣寺は素晴らしい

156:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/10 22:38:57
保守

157:三島由紀夫
08/02/11 20:56:52
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。
日本を守ること。
日本を守るとはなんだ。
日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。
おまえら聞け。聞け!
静かにせい。静かにせい!
静粛に聞け!
男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!
いいか!
いいか!

それがだ、いま、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正というものがないんだよ。
諸君は永久にだね、ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!


158:三島由紀夫
08/02/11 20:58:18
諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法をだね、自らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これがある限り、諸君というものは、永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだ。
自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。
憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。
俺は、諸君がそれを完全に断つ日を、待ちに待っていたんだ。
諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに固まって、片足突っ込んで、本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。

憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。


159:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/12 14:46:42
三島由紀夫「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」

伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」

三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」

当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。

伊沢甲子麿


160:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/12 14:47:50
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。

伊沢甲子麿


161:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/13 16:21:37
俺、三島にケツの穴ほられた。

162:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/13 22:45:02
はいはい

163:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/14 20:13:27
あげ

164:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/14 23:30:40
「黒蜥蜴」の剥製にされた筋肉男の役の三島由紀夫の顔がハンサムでかっこいいよ

165:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/18 22:42:47
目がセクシー

166:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/20 11:01:22
戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。

保田与重郎

167:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/20 23:58:30
私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。

保田与重郎


168:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/20 23:59:08
劇場への招待「朱雀家の滅亡」
・NHK教育
・2008年 2月22日(金)22:25~翌0:55
・原作:三島由紀夫
・演出:宮田慶子
・出演:佐久間良子・窪塚俊介・中嶋しゅう・森田彩華・中山仁

169:以下、名無しに代わってVIPがお送りします。。。
08/02/23 09:23:27
三島がホモだと聞いてVIPからすっ飛んできますた!!!

170:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/23 10:21:05
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン


171:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 12:45:25
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。

ドナルド・キーン


172:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 12:46:22
三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。

ドナルド・キーン


173:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 02:32:23
↑くだらねぇ内容の連投キモいんだよバカ三島ヲタが!

174:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 10:52:36
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。
なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。

安部公房


175:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 19:01:51
神経質そうな感じだな


176:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 16:11:59
金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、凄まじいまでの美をあらわしている存在である。
主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との共生にいいがたい浄福を感じている。
…敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の呪詛のような美に化生する。
主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。

橋川文三


177:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 16:13:16
―この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。
そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかになるであろう。
こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、みごとに定着している。
「仮面の告白」に遙かに呼応する記念碑的な作品である。

橋川文三


178:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/01 10:46:10
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の後には水晶のような透明な誠があつた。

翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は飛んだ。

彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫


179:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/01 10:47:06
私にはわからない。自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばないといふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になつたのだよ。

彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫


180:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/02 11:47:41
「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。

マルグリット・ユルスナール


181:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/02 11:48:15
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。

マルグリット・ユルスナール


182:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/03 11:51:11
若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。
すなわち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。

三島由紀夫

183:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/03 11:53:01
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。

保田與重郎


184:三島由紀夫
08/03/06 14:19:39
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。


185:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/08 00:27:09
カミカゼ…

186:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/10 08:00:09
由紀夫やっぱりモーホー?

187:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/10 21:06:35
ホモっ気のない男はいない


188:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/12 16:32:51
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三


189:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 10:59:07
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

190:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 11:00:05
「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


191:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 11:00:43
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


192:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 11:02:00
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


193:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 18:01:17
福島次郎氏の写真が見たいけどネットでも見つからないな

194:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/18 13:57:51
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、
彼女は中学時代から文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには三島や安部公房などもいました。
ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に表れている、三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や
三島的なものへの思慕(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等は一部で指摘されています。
また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、とという認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と主張した三島と、
恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とするユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。


195:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 11:45:19
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、―まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


196:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 11:45:53
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から

197:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 11:46:50
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


198:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 11:59:56
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。
僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。

保田與重郎

私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。

保田與重郎


199:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 12:00:40
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎


200:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/19 13:04:45
200ゲット

201:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/27 13:23:11
三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の死亡者、行方不明者の数は
数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。

当時の抗議声明文が載ってるサイト
URLリンク(dogma.at.webry.info)


202:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/28 14:16:34
三島由起夫 動画集

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

203:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/28 18:17:52
三島の人生と小説
どっちに興味がある?

204:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 15:28:15
>>203
どっちかというと、人生かな

205:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:52:59
アッー

206:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:53:00
国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり

保田與重郎
昭和45年11月某日


207:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/29 16:53:25
わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ


夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに

保田與重郎
昭和45年11月某日


208:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/31 01:30:56
一流の社交家でもあった三島

11PMにも出演してる

URLリンク(jp.youtube.com)



209:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/31 10:52:58
へ~

210:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 02:16:22
三島由紀夫は部落民の血統だと聞いたことがあるけど
どうやら事実らしいな。

211:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:15:10
>>210
そんな事実は全くありません

212:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:58:54
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。
また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。


213:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 10:59:52
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、
これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。
三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。


214:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:04:49
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。
その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。


215:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:08:07
ウィキペディアに「三島は非人の家系だ」
と書いてあったのを読んだ憶えがあるぞ。

216:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 11:08:10
>>211 正田美智子(後の皇后)とお見合いしてるからね ありえない

217:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 16:06:33
>>215
書いてないよ
私が持っている本には、三島由紀夫の祖父の父親、平岡太吉は裕福な地主兼農家とあるよ
それより前も塩物屋や農家です
結婚するときに杉山家が三島の家系を調査してます

218:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/04 15:36:53
>>216
断ったの?

219:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/06 11:49:39
三島は花嫁の条件に、自分の仕事に口出ししない女性で、文学に興味のない人を希望していたらしい
美智子さんは文学に興味があり、詩を書く趣味もあったため、三島から断ったのではないかという推測者の方が多いようです
真偽はわかりませんが

220:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:21:26
ミッチーはゲイと結婚したくなかっただけサッ!


221:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:36:25
たけしには無理な気がする

222:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 03:47:44
三島由紀夫の尊属に慥かに非人の血縁者が居たと
書かれていたぞ。
穢多では無かったかも知れないがな。

223:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/07 17:30:10

三島由紀夫のことが嫌いな共産党工作員の作り話だよ


224:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:06:30
三島由紀夫の娘の紀子さんと、皇太子の浩宮さまは学習院で同級生だったらしいよ
結婚してたら面白かったのにね

225:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:14:44
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。


226:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:15:44
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。


227:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:16:38
三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。
机には太宰治の本があったともいわれている。


228:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 12:23:06
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。

川端康成

229:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/10 16:40:06
コピペ職人よ、
この文章どっから拾って来てるんだ?
本で出てるなら買う

230:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/11 13:24:30
>>225-227は、ドナルド・キーンや石原慎太郎のエッセイ、ネットで見た川端自殺の情報などを元にして、綴って書きました

>>228の川端の言葉は有名だから結構、さまざまな三島関連本に載っていますよ
ヘンリー・スコット・ストークスとか橋川文三とか、他にもあると思う


231:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:31:18
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。

「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。

川端康成


232:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:39:05
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信

233:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 15:39:46
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信


234:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 05:25:14
三島には才能のかけらもない




ケータイ小説の産みの親 Yoshi

235:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 16:36:08
ikuzo-?

236:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/14 03:52:43
>>234
むだな抵抗

237:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/15 15:58:38
Yoshi乙

238:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/15 16:07:13
ドナルド・キーンが自死直前の三島から聞いた奇談

学習院の制服を着た少年がどうしても、と三島に面会を求めてきた。
三島は数分だけ、と約束させた上で自宅門前まで出た。
少年は三島に「先生はいつ死ぬのですか?」と問うた。
三島は驚き、言葉を返すことができなかった。

その少年とは清顕だったのだろうか。

239:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 12:34:08
>>238
ドッペルゲンガー、過去の自分だったんじゃないかな


240:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 15:33:06
いつ死ぬのですか・・・(涙
世間から、好奇な目で見られてると感じたのかな。
自分を見たのだとしたら、映像美として残したい一瞬だ。
耽美すぎる・・・

241:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 15:50:29
>>55
死人に口なし
女装爺の言いたい放題
なにを神秘ぶってんだよ

美輪ぐらい三島でやらずぶったくりを続けてるヤツはいない
ペ転&鷺師

242:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/17 22:59:09
学習院の高等部在学中の三島のノートに
「松ケ枝に降る春の雪」という文章が書かれていたのが見つかった。
春の雪の構想は高校生の頃から持っていたとしたら驚きだ。

243:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 00:19:57
美輪さんは三島を好きだに100モリタポ。

244:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:00:51
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。

三谷信

245:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:01:21
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信


246:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:01:50
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。

三谷信


247:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 11:02:20
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信


248:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 13:22:51
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。


249:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 13:23:28
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。


250:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 15:11:35
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。

ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。


251:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 12:21:44
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。

252:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 17:09:17
へ~

253:山田の塩
08/05/04 23:28:28
日清カップヌードルが食べたいのに高くて無理

まるちゃんのレッドフォックスとグリーンたぬ公は食べ飽きたので
日清はそろそろ元の値段に戻して下さい。

254:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 23:51:17
産湯の話はこの人か?

255:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 10:46:55
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信


256:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 11:17:48
ジャンジャックあげ

257:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 23:37:05
三島「君はとっても優秀な人間だが5%の欠点が君をダメにしているよ」
美輪「5%の、欠点って?」
三島「俺に惚れないことだ・・・」

258:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 12:59:08
すごいな三島
どんだけ自分をいい男だと思って高い位置においてるんだ?
文筆家としては超一流だが、容姿はそれほどでもないのにな

259:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 13:40:09
そういう意味じゃないでしょ

260:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 14:04:47
じゃ、どういう意味よ
悪いが教えてくれないかねえ

261:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 20:20:10
美輪のデマ

262:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 21:57:19
三島が美輪様に惚の字だったんだよ。
美輪様によると。

263:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 11:47:39
>>260
三島由紀夫は、有名作家の自分にすぐになびかない美輪に、ほめ言葉として欠点と言ったんだと思うよ
別に自分の容姿にうぬぼれて言ったわけじゃないでしょ


264:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 23:05:57
>>258
いや、個人的には三島は男としてはかなりいいと思うよ
今と男の価値観が違って昔は、三島や三船や加山雄三みたいなのがいいとされたんだよ

265:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/11 23:43:31
「男として」という定義も甚だ曖昧だと思うけど
仕事が出来る+態度が確固としているという点では
いい男の部類に入るとは思うよ
だが、甘えるにしてものぼせるにしても
好きな人間を夢中にさせるにはいかんせん容姿が足らん
あれだけ美を追求した三島のこと
それくらいはよく分かっていただろうに
しかし、褒め言葉として欠点と言ったのなら
かなりややこしい人間だな



266:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 11:35:36
ややこしいというより、お洒落な会話にみえるよ
作家だから、わざと反語を使ってユーモアで、気を惹こうとしたんでしょう

267:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 14:29:25
文章表現ならいざしらず、お世辞にもお洒落な会話ではないだろうに
聞かされた方はどうしたらいいんだ?って思うだけだよ
三島は対人関係がへたくそだったんだろうな




268:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 16:18:41
三島由紀夫の、会話上手は有名です。

269:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/12 21:07:07
有名であろうがなかろうが、少なくとも三輪の件では下手

270:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:23:15
>>269
田舎者には、そう見えるんだ

271:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:51:24
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ。

「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。

美輪明宏

272:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 23:56:35
>>270
そういう紋きりの逃げは恥ずかしいな
世界中たいていの場所へ住める昨今
日本に限定して田舎も都会もない
三島の文章と心理描写と実際の態度は一流だ
しかし三輪とのその会話はいただけない
それだけだよ

273:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 10:37:31
あんたが下手だと思っても、美輪にとっては下手じゃないんだよ
あの会話を美輪は自慢げに、人に語っているんだしね


274:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/19 16:19:40
三島由紀夫「空飛ぶ円盤信じますか。」

江戸川乱歩「ぼくは確証をうるまで信じない方です。心霊現象なんかでもおなじですね。」

三島「ぼくは絶対に信じる。」

芥川比呂志「この間『朝日ジュニア』からアンケートが来たけれども、人工衛星がまわっている世界だから、空飛ぶ円盤だってありそうな気がする。」

江戸川「そういう比論では信じられない。現実に確かめなくては。」

三島「ぼくは頭から信じちゃう。そして、ぼくはお化けはきっといると思うの。(笑)」

山村正夫「心霊実験も信じますか。」

三島「信じますね。」


275:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/21 21:08:33
URLリンク(www.geocities.jp)

檄文 三島由紀夫


URLリンク(www.geocities.jp)

演説文 三島由紀夫


276:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/25 21:02:15
三島邸って大森からだとどうやって行けばいい?

277:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/26 22:02:33
>>276
住所は大田区南馬込4丁目32ー8みたいだよ。
ところで三島邸ってまだあるの?

278:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/31 23:31:39
人権擁護法案が通ると、在日、朝鮮総連が三島由紀夫の文化防衛論を発禁にするおそれ。

67:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:11:01
三島由紀夫も発禁だな
よろこんで在チョンとかが申請しそうだ

んじゃなくても『文化防衛論』とか事実上の発禁だし

74:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:59:26 [age]
>>67
三島由紀夫の「文化防衛論」は、絶版にされちゃうだろうね。

三島由紀夫は、朝鮮人問題(韓国人じゃないよ)の欺瞞、日本に北朝鮮学校をつくり都知事の許可を得て、反日教育をほどこす北朝鮮人の欺瞞、民族疎外を革命に利用する欺瞞と偽善について述べているからね。
昔から見抜いて警告していた三島由紀夫はすごい。


279:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/31 23:33:45
人権擁護法案、外国人参政権、反対
URLリンク(tk01050.blog27.fc2.com)

280:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/01 02:08:44
>>277
ありがとうございます

表札だけでもおがんでみたくて

281:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/05 16:24:08
三島由紀夫原作:鹿鳴館
6月6日~29日 新橋演舞場にて公演
URLリンク(www.shochiku.co.jp)

282:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/09 18:26:21
三島由紀夫の子孫がDAIGOってこと?

283:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 14:58:48
>>282
遠い親戚なんじゃないの?

284:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/10 15:05:12
>>257
これは女を口説くときに使えそうなセリフだね

285:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 18:15:28
ウホッ使える

286:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:30:55
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


287:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:31:46
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


288:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:32:18
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


289:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:35:37
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


290:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:40:47
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


291:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/13 21:41:26
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


292:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/14 18:20:45
アツイね

293:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 12:32:57
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

294:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/18 12:33:27
われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

295:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/19 23:54:02
三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。
その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。

辻井喬


296:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/19 23:58:59
飲み会では三島はすぐ帰ってたらしいね

297:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 10:52:39
毎日規則正しく時間を決めて、夜から朝にかけて書斎で執筆してたそうです。

298:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 11:01:59
とある銀座のバーで。

石原慎太郎「三島由紀夫を殺したのはお前だ!」

美輪明宏「そうよ、三島さんを殺したのは私よ。今度はお前を殺してやる!」

石原「何言ってんだい……ブツブツ」

石原すごすご逃げてゆく…

299:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/20 17:22:01
猪瀬直樹著『ペルソナ』に出ていたマダムX(三島と4年間恋人だった満佐子という女性)のことが書かれた本が出版されてます。

岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)


300:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 10:02:35
300

301:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/21 12:01:51
今日の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。


302:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/23 11:13:30
■ラルク関連記事
ラルク新曲は三島由紀夫『金閣寺』の影響か
URLリンク(www.222.co.jp)


303:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/25 23:45:43
宇多田ヒカルも三島ファン

304:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/26 11:57:44
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。

保田與重郎
「ただ一人」より

305:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/26 11:58:29
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。

福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より


306:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 03:48:41
三島由紀夫がかっこよすぎる

307:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:05:11
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より

308:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:05:48
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より

309:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/02 12:09:59
三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。


310:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/03 11:28:29
東京都知事・故青島幸男氏は三島の割腹を聞いて
「オカマのヒステリー」と揶揄し、青島自身はTVで楯の会制服を着て
横の会と称しコントを行なった。
このような氏であったが、数年後、シンガンス釈放事件について
マスコミから追求されると、マスコミ取材は居留守をつかい逃げ回った。
三島と森田の検死解剖は慶応大学医学部解剖学教室が行なった。
珍しいということで、当時、慶應大医学部学生に公開された。
三島は臍下を左から右へ13cm切り裂いていて腸が飛び出していた。
三島は舌も噛み切っており、検死解剖にあたった教授は
三島の壮絶な気概をを感じるとコメントを残している。
両氏の遺体は一時、警察の車庫内に安置されたが
車庫前に警察官達自らが献花台を設置した。
警察官が加害者の遺体に献花台を設けるのは珍しいこと。
全共闘のリーダーが献花に訪れたのは有名な話。
このリーダーはその後、自死された。


311:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/04 14:08:24
青島なんか単なるチンカス都知事、死んでも誰も惜しまれず。

312:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/07 16:34:32
三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。

鶴田浩二


313:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/08 15:40:46
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」

三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」

鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」

三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」

「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より


314:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/10 16:52:33
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。


315:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/10 16:53:26
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。


316:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/11 12:39:53
潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。

『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』

三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。

317:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/12 10:24:30
神島いきたいなあ

318:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/13 21:02:20
美輪と三島はきってもきってもきれない縁


319:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/15 11:14:57
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」

三島由紀夫

320:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/16 17:15:57
聡子さんが門跡になった月修寺のモデル円照寺の
第10代山本静山(じょうざん)門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王でした。
URLリンク(urano.org)

321:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/22 14:52:55
大東亜戦争の意義(1)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

大東亜戦争の意義(2)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

大東亜戦争の意義(3)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

大東亜戦争の意義(4)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

322:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/22 15:21:50
右翼って昔と今じゃ違うもん?

323:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 03:46:43
共産主義が実質敗北したから右左の区別は曖昧になってる。だから右左は昔みたいに明確な線引きは出来ない少なくとも今の日本では

324:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 05:06:36
>>322
そもそも右翼と、すべて悪いかのごとく日本の愛国を断罪したのは先勝国と、それに便乗した共産党、朝鮮中国。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 13:32:59
割腹したあと解剖で肛門から何人分の精液が検出されたんだっけ?

326:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/23 14:00:34
>>325
それ事件直後に朝日新聞系が流したデマだと聞いたよ。いったいいつまで昔の時代のデマありがたがってんの?
>>136-137を参照。

327:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 10:12:07
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。

自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より


328:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/25 10:13:07
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。

その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より


329:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/04 16:41:05
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

330:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:18:53
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

331:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:20:29
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


332:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:21:23
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


333:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/05 10:52:05
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より

334:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:02:28
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


335:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:03:17
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


336:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 14:06:47
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。

国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


337:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/26 00:13:27
麻酔で眠ったことある?
麻酔で眠っている間は無意識で夢は見ないと言われています
死という感覚は麻酔で気を失った状態が永遠に続くようなものだと誰かが言ってました

338:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/02 12:26:57
へー

339:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/03 15:13:24
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

340:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/03 16:55:41
>>26
公務員試験の席次が150番とか180番だったから大蔵にいてもまず
本省局長にはなれなかった。最初の配属先は銀行局だかの超マイナー課。
期待の新人エースなら官房秘書課、文書課或いは主計局に配属される。
だいたい大蔵で次官・局長目指すなら一桁合格じゃないと無理な訳で
退官して正解

341:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 02:02:42
ここのスレ主さん的に
映画「MISHIMA」はどうなの

342:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 10:31:14
>>26>>340
大蔵省をやめてから作家になったわけじゃなく、その前から作家だったからね。


343:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 10:49:18
>>341
まだ全部ちゃんと全般的に見てません。

三島の薔薇刑をとった写真家の話だと、実際の三島とは違う描かれ方をしているらしいし、
海外の映画監督から見た三島像、ミシマという実際の三島由紀夫とは少し違うある一人の芸術家を描いた映画として見ればそれなりにいいんじゃないでしょうか。

344:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 22:02:08
なんだ、見てないのか
では映画「憂国」はどうですか

345:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/05 12:28:05
>>344
小説より、妻の心理描写が巧く描かれていたと思うし、切腹の迫真で怖かったよ。
あなたのミシマと憂国の感想はどうですか?

346:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/12 21:26:59
三島論
URLリンク(www.geocities.jp)

347:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/22 17:04:53
三島ほしゅ

348:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 00:53:03
NHKのアーカイブで川端と三島と志賀の対談見たとき
川端は年下の三島に精神的甘えてるように映った。三島もそれを
受け入れてるような間柄に見えた。親が子供に甘えるような感じ。
三島が割腹する前に川端も自ら命を絶ってしまった。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 00:56:40
>>337
麻酔で眠ったことは2度あるけど
2回ともものすごく怖くて奇妙な夢を見てうなされたよ。
麻酔が醒めかかったときだったのかな。

350:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/23 15:05:04
>348
川端が自殺したのは三島切腹の約一年半後だよ。

351:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/04 13:37:48
三島由紀夫の妹は敗戦後まぎわにチフスで17歳で死んで、そのとき聖心女子学院生だったけど、
『朱雀家の滅亡』のなかで制服で出てくる璃津子について三島は「僕のノスタルジーだよ」と言ったらしい。
璃津子(ritsuko)は
妹の名前、美津子(mitsuko)の音(iuo)を表していたのかな。
もしかして、美智子皇后とお見合いしたのも、妹と同じ聖心女子学院だったからかもしれないと、ふと思った。
お見合いの前か後かは判らないけど、美智子さんの聖心女子大の卒業式も三島は見に行ってたらしい。たぶん聖心だったからだと思う。

352:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/11 17:55:25
 天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
  岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
************

 岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。

 同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。

 このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
 岡潔先生曰く。
 「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」

 編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?

 岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、
不滅の真理かのように思いこんでしまっている。ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。


353:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/29 15:41:13
三島由紀夫氏、没後三十八年『憂国忌』の御案内
============

 記
とき   11月25日 午後六時(五時半開場)
ところ  九段会館 三階「真珠の間」(地下鉄「九段下」)
記念講演 評論家 西尾幹二氏
演題   「三島由紀夫の死と私 ―限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」

ほかに発起人の追悼挨拶があります。

代表発起人 井尻千男、入江隆則、桶谷秀昭、嘉悦康人、小室直樹、佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、中村彰彦、細江英公、松本徹、村松英子

(当日、一般入場者の会場分担金はおひとり千円)
 皆様のふるってのご参加をお待ちします。

354:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/06 12:00:59
URLリンク(www.nicovideo.jp)


緒形拳が演じる三島由紀夫の最期

355:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 12:57:06
今年もお墓に行きます
白菊と葉巻を持って
待っていてくださいね(^-^)

356:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/26 14:51:31
褌が似合う三島由紀夫
URLリンク(www.vipper.org)
URLリンク(www2.vipper.org)


357:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:30:34
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

358:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:31:59
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

359:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/01 00:32:40
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

360:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/06 16:51:04
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、振付家)がいますが、
1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・ディテール)は、
三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」

フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。

361:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/22 11:13:55
(「共産党」を「民主党」に置き換えると現代にも通用する)

『わたしにとっての共産党』三島由紀夫

日本共産党と自民党は同じだ。どちらも議会主義、憲法擁護を表看板にし、それでは何もできないことを知つてゐる。
理想を放棄してゐるんだ。また大衆社会といふ白痴美の女をねらふ二人の男にたとへられる。
二人ともメガネをかけて一見、紳士風。男性化粧品をふんだんに使つて「結婚しても決して暴力はふるひませんよ」といつてゐる。
ただ、この勝負、共産党のほうが、女の財産をねらひ、骨までしやぶらうとしてゐるだけ有利かもしれない。


362:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/27 15:17:05
皇居参賀・日の丸小旗配布奉仕の御案内を申し上げます。

☆集合時間 1月2日 午前8時20分
☆集合場所 本部テント前(馬場先濠堤・行幸通り側)
☆晴雨に拘わらず実施致します。
☆皇居と東京駅を結ぶ行幸通りに於いて、緑色の帽子を被りながら奉仕致します。
☆参加希望者は不二歌道會(03-3401-0963)または三澤浩一(090-2622-4242)まで御一報願います。

☆開閉門ならびに御立ちの時刻は下記の通りです。
[開門―09時30分]
1回目―10時10分
2回目―11時00分
3回目―11時50分
4回目―13時00分
5回目―13時50分(以降記帳は15時30分まで)
[閉門―15時10分]

363:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/04 13:37:48
西尾幹二の三島由紀夫論
『三島由紀夫の死と私』(PHP刊、上製。1500円)発売中

364:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/08 10:44:49
川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)1/3 -3/3
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)

365:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:31:49
▲川端康成と三島由紀夫の関係の堤堯氏の指摘

堤堯氏は雑誌『WiLL』2007年1月号の「ある編集者のオデッセイ」で、三島、川端両氏の間にノーベル賞を巡ってすさまじい確執があったことを書き記しています。

「まあ、運がいいんでしょう。拾いものみたいなものですからね」との鼎談での川端の発言は受賞を謙遜していますが、
ノーベル賞獲得への猛烈な執念を押し隠したもので、その執念を知る三島はどんな気持ちで聞いていたことでしょう。
鼎談の二日前でノーベル賞を受賞する前日の昭和43年10月16日、川端は三島に次の手紙を出しています。

「拝啓 春の海(春の雪ではなく!)奔馬 過日無上の感動にてまことに至福に存じました・・・」
鼎談の時までに、三島がこの手紙に目通ししていたのであれば、川端の雑駁な誤記を胸に深く畳んで収録に臨んでいたのです。

366:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:32:44
受賞発表の17日候補者である三島は毎日新聞に待機して発表を待っていました。川端受賞の報を受けるとその場で祝辞の稿を書き上げます。

「川端康成氏の受賞は、日本の誇りであり、日本文学の名誉である。これにまさる慶びはない。
川端氏は日本文学のもっともあえかな、もっとも幽玄な伝統を受け継ぎつつ、一方つねにこの危うい近代化をいそいできた国の精神の危機の尖端を歩いて来られた。
その白刃渡りのような緊迫した精神史は、いつもなよやかな繊細な文体に包まれ、氏の近代の絶望は、かならず古典的な美の静謐に融かし込まれていた。
ノーベル文学賞が、氏の完璧な作品の制作と、その内面との、文学者としてのもっとも真摯な戦いに与えられたことの意義はまことに大きい。
それはひとり川端氏のみでなく、千数百年にわたる日本の文学伝統と、同時に、日本の近代文学者の苦闘に対して与えられたものと感じられるからである」

実に格調高く、日本人作家としてともに受賞をよろこんでいる気持ちが伝わってきます。
しかしタペストリーの表糸のような、明朗優美な表現とはトーンの異なる、陰影を帯びた鋭利な裏糸が縫い込まれた件りが次に現れます。

367:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:33:36
「人間に対する真の愛情とは?
ここに氏の文学の、表面にあらわれぬ深い主題がある。
すなわち、古典的な優雅な文体の下に、氏の文学には、近代文学のもっとも先鋭な主題『そもそも人間が人間を愛することができるか?』という設問が隠れているからである」

『そもそも川端は人間を愛することができるのか?』
『常に師川端を立て、文学上はもちろん私生活の部分でも細やかな配慮の塊のような弟子三島を愛することができるのか?』と読み替えると、とても鋭利な川端への問いかけとなります。

368:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:34:26
更にこう続きます。

「スエーデンに紹介された氏の作品は『雪国』、『千羽鶴』、『古都』の三篇の由であるが、この中に氏の近年の傑作『眠れる美女』が含まれていないのは残念である」

『眠れる美女』(昭和36年)を、これほど熱意を入れて評価する文壇人、評論家は何人いたのでしょう。三島だけではなかったでしょうか。
翌日のテレビ収録でも「『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね」と牽強付会的に、この作品名を挙げています。このしつこさは異常です。
毎日新聞の三島の祝辞を読んで川端は内心ビックリし、収録時も面を食らったことでしょう。
三島が川端への祝辞記事や鼎談での発言で、『眠れる美女』の作品名を執拗に挙げたのはなぜなのか、奇妙な観をぬぐえません。

369:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:35:16
▲『眠れる美女』に関して

元文芸春秋編集長の堤氏は『眠れる美女』の三島代作説を肯定しています。
もし「代作」なら作品はどのように完成されたのでしょう?
三島がモチーフを提供しただけなのか、下書き的な草稿を作成したのか、川端のモチーフを元に、あるいは川端が書きかけたものを三島が完成させたのか・・・。そういう共作的なものだったのか?
川端作品を三島が「代作」した証拠はありません。その必要も事情も見当たりません。しかしそれにも拘わらず、文壇・出版界に根強く代作説は流布しています。

370:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:47:06
▲「川端康成氏を囲んで」の会話

川端 ― (私の作品を)面白がる人は非常に面白がる。思いも懸けない小説みたいなものを読んだ気がするんじゃないんでしょうか。

三島 ― 私がこれから楽しみにしておりますのはね、川端さんの御作が、これを機会に向こうでどんどん(翻訳されて)出ると思うんですね。
たとえば『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね。
川端さんの作品で非常に構成的でしょう。

371:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/17 23:47:53
▲最後の川端康成と三島由紀夫の手紙

昭和47年4月梓(三島の父親)は川端から、彼(川端)が自死する直前に長い手紙を受け取っています。
しかし
「その内容についてはもちろん絶対にノーコメントですが、川端さんのまったく意外な点が実によく表れていて興味をひかれました。
とまれ家宝にして永く大切に保存してゆきたいと思っています」
と封印され公になっていません。
これが「眠れる美女」の三島代作説や川端の三島への思いを明らかにしてくれる(カギとなる)可能性があります。

昭和45年7月8付で三島が富士の演習場から川端に投函した鉛筆書きの手紙がありました。
これは親族(川端の)により焼却されたそうです。

372:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/23 23:14:18
憲法第九条はGHQのニューリーダー(ユダヤ人共産主義者)によって
作られた売国憲法である。憲法第九条を擁護する者は国家を解体し、日
本を共産主義へ移行させようという悪魔の夢を抱いている売国奴である。

373:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/25 00:07:40
『これでいいのか日本の防衛』三島由紀夫

Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?

三島由紀夫:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。

374:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/04 22:56:03
…例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。

小林秀雄
「感想」より

375:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/04 22:56:25
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。

エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。

実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。

小林秀雄
「文学者の思想と実生活」より

376:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 15:55:48
「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。―死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」

陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

377:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 16:03:27
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」

自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

378:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/09 16:26:29
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに―。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って

379:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:26:09
●北方領土で長期目標を提議した森田烈士

森田必勝氏の論文は今から丁度40年前に書かれたものです。
同論から、北方領土問題に向けられた森田氏を含めた当時の保守派民族主義学生運動のうねりを感得することができます。
森田氏は民族主義運動の学生仲間と札幌、根室などを訪問して、現地の人々と交わり復帰運動の現状を探ります。
そこから自分たちの推し進めている学生運動が北方領土問題とどう取り組めるか、どんな役割が果たせるかを自分たちの「使命感」を持って真剣に模索します。
民族主義運動として、その存在をかけて何がやれるかを熱心に追究します。
論文のタイトルにあるように、森田氏は「北方領土復帰運動」を「民族運動の起爆剤」にしようと志向しています。
森田氏は北方領土に関して、政府も漁民も立場上言えないような主張を代弁することが学生としてできないかを現地で実直に思案します。
エリート学生(当時の大学進学率は低かった)として、高踏的に復帰運動を俯瞰しようとはしません。地に脚のついた立ち位置をとろうとします。

380:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:27:03
現地では、まず復帰運動に関わる漁民ら住民との微妙なギャップを知らされます。
森田氏らは「全千島、南樺太奪還」のスローガンを掲げているのに対して、彼らは「国後、択捉、歯舞、色丹返還」の違いがありました。
政府と地元で行われている官製運動の形態と、それらの限界にも目を向けます。
「領土に対してもっと厳粛な気持ちになって、たとえ一片の土くれ一塊の岩石であっても、我が国の領土ならばこれを守り抜いてゆく、即ち領土に対する厳粛な継続者であるということを民族の遺言に植えつける必要があると思う。
こういうことから私は、北方問題は南方問題でも同じように言えますが、これは “民族の遺言運動だ”と言いたい」
という北海道庁領土対策本部長の言葉に森田氏は感じます。
「(北方領土問題の解決は)極めて悠長だが重要で」、「世代から世代へ、親から子へと受け継がせていかない限りこの民族の怒りの火は消えてしまう」 と森田氏は思うからです。

381:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:27:42
●迸る領土返還への情熱と愛国心

森田氏は「北方の島々がまだ当分還ってこないとすれば、長期的、持久戦的視野も重要だ」と指摘します。
それから40年経て北方の島々は還ってきていません。進展も見ていません。
進展はありませんが、北方領土問題でソ連やロシアとの交渉に長年あたってきた諸氏はいます。過去十数年間の交渉の実態を知る資料のひとつとして、2006年上梓された『北方領土「特命交渉」』があります。

森田氏は自問します。
私たちは何のために「北方領土復帰運動」をおこなうのだろうか、と。
「たとえ、ソ連が何十年居座ろうとも、われわれは日本民族の闘いとして、この運動を続ける」と根室市での懇談会で、ある老人の発した言葉に森田氏は揺すぶられます。
いっさいの理屈を超えたところに「北方領土復帰運動」があるという老人の発言は明快そのものです。森田氏が老人の心意を直観したのは言うまでもありません。
親子の間の愛について理屈を説いて説明する必要がないように、「日本民族」はそれを育んでくれた「日本領土」への愛しみがあります。両者が一体であることに理屈はないのです。

382:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 14:28:20
何者かに民族が領土から剥がされ、その一体性が奪われたのなら、領土を奪い返して愛を回復することは当然です。
奪われた北方領土を取り戻そうとするのは日本民族の本源的な情動です。
森田氏は、「この老人の一言に、おそらく私たちすべての立場は代表される」と深く感動します。
森田氏にはこのように魂の叫びに共感する感性があります。
森田氏は1960年代後半当時の国際情勢をつぶさに分析しています。
それと北方問題を照応させ、この運動は長丁場になると的確に押さえます。
「北方領土復帰運動」を、「失われた民族心の回復と、祖国への誇りの回復」 と位置づけ、「この闘いを勝ち抜くのである」と宣します。
森田論文が発表された昭和43年(1968年)当時、民族主義学生運動という熱いうねりがありました。
この学生運動が真剣、真摯であったのはその時代の様相を反映していたのでしょう。

383:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/19 21:31:25

【MAD】椎名林檎 メロウ  三島由紀夫に捧ぐ
URLリンク(www.nicovideo.jp)

● メロウ ●

橙色は止まらない
黄色を探して乗り込め

お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える
蔑んでくれ

僕は何処迄も真摯なのだ“至って普通さ”

いま群れ為す背中
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

意識は希望に素直じゃあない
回避するなんて止めておけ
お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ
引き攣ってくれ
僕は此処でお前に云うのだ“愛しているさ”
いま赤く染めた
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

美しい予感・目に映る全て・儚き事象

要らぬ もう 要らぬ
嗚呼・・・

384:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/20 15:39:59
2chスレに駐在する三島信者のオバサンは
三島美化のためなら平気で真偽の定かでないコピペをするからな。
しかも時にそれに混ぜて三島美化の作り話までさも真実の記事のように掲載する
から恐ろしい。


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