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噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
■江頭チッソ社長の“犯罪性”
江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、そんな渦中
の一九六二年のことである。そして六四年には副社長、同年暮れには社長
に昇格した。
公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には
「法的責任」はないのかもしれない。むしろ、江頭は水俣病問題の処理の
ためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている。
しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題なのだ。それはど
う考えても「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。
そもそも、江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの
工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったので
ある。前述した熊本大学だけでなく、厚生省水俣食中毒部会までが「原
因は有機水銀」との答申を提出。胎児性水俣病までが発見され始めてい
たのにもかかわらず、である。
そして、先の「見舞金契約」をたてに患者といっさい交渉をもとうと
しなかったのはもちろん、驚くべきことに江頭チッソはそのまま六六年
まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けたのだ。排水を完全循環方式に
改良して、水銀放出をストップするための費用は五○万円。こんなわず
かな金を出し渋って、である。
「法的責任がない」どころではない。少なくとも六二年から六六年ま
での四年間については、江頭自身が殺人行為に加担していたことは動か
しがたい事実なのである。