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噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡!
ところがそんな中で、唯一、タブー的な存在とされている人物がいる。
雅子の母方の祖父・江頭豊のことだ。今も健在で、雅子や恒夫婦と同じ
敷地内に住んでいるにもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミ
に姿を見せたり、声を聞かせたことはない。まるで幽閉されているかの
ように、である。
それもそのはずである。周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病を
タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦
浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在
が最大の理由だったといわれている。
「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはま
ずいとはっきり口にしていた。全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が
熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬
に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部
を『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい
われているほどです」(宮内庁担当記者)
実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ
ッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、
後に富田自身も認めているほどだ。