10/04/17 23:47:31
>>549
法益関係的錯誤説においても何が「関係的」かは明確ではありません。
財産犯であれば、対価の有無・内容についての錯誤は法益処分の「動機の錯誤」に過ぎないかもしれませんが
それでも通常は「法益関係的錯誤」だといわれます。
結局、判例・通説は、自己の生命の処分の対価である「一緒に男が死んでくれるという利益」を保護するのに
対し、「法益関係的錯誤」説の論者はこれを保護しない、という立場をとる。
本当の論点は、そういう利益が保護に値するかどうかが問題にされるべきのはず。
法益関係歴錯誤説の論者が本来問題にしていたような、法益そのもののについての錯誤の有無、という視点は、
自己のある法益が無価値であるとして処分する場合(例えば、ゴミを捨てるような場合)には妥当する。
一方、何らかの対価を期待して価値のある自己法益を処分する場合には、処分の動機である「対価」にまで
目を向ける必要がある。