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井田良『刑法総論の理論構造』引用文献リスト(コメント付)⑭
依存性の有害薬物という点では共通する同種の薬物AとBのうち、Aのみについて
刑法的規制がなされているという場合があるとすると、客観的にはAについての
違反事実が存在するのに、行為者がそれをBであると積極的に誤信していたとき、
行為者には依存性の有害薬物という認識がありAとBとに共通する性質を知って
いたといえども、違反事実について故意ありとすることはできない。
ー高山・前掲『故意と違法性の意識』83頁、213頁
中森喜彦「錯誤と故意」西原古希1巻437頁
しかし、もし依存性の有害薬物という認識があるにとどまり、それ以上の特定
がなされておらず、行為者としてはAを排除する趣旨でないのであれば、Aに
ついての故意は肯定されるべきである。この点につき、
ー井田良「覚せい剤輸入罪および所持罪における覚せい剤であることの認識の程度」判例評論384号215頁以下。
故意はもっぱら違法要素であって責任要素ではないと考えなければならない。
これに対して、故意を責任要素として位置づけなければ、違法の分量を責任の
分量へと媒介するものがなくなってしまうと主張するものがある。
ー佐伯仁志「故意・錯誤論」『理論刑法学の最前線』101頁以下
高山・前掲『故意と違法性の意識』71頁以下
違法性の段階で、10の不法が基礎づけられたというとき、責任の段階では
そのうちのどれだけを主観的に帰責し得るかが問題となる。ブルンスが
「責任」に対し「帰責可能な不法」という古典的な定義を与えたのはまさに
その趣旨であった。
ーBruns,Das Recht der Statzumessung 2,Aufl,1985,S,145
違法性の