09/07/26 00:06:21
裁判への市民参加は、市民が、お前らのやってることは信用できない、
と言い出したため、じゃあお前らがやってみろ、とボールを投げ返した
ものである。もちろん、事実認定にせよ法適用にせよ利権は巧妙に
温存されているが。
市民など交えずとも、事実認定についていえば、かつてなく厳密に
行えるようにはなっているのかもしれない。科学の成果だ。
とはいえ、クーン以後の世界に生きていることは事実。
事実といえども、覆されるまでの暫定的なものにすぎない。
再審の可能性は常に開かれている。新聞などは、冤罪が分かるたびに
騒いでいるが、それこそが欺瞞というべきである。
コリン・デクスターは、証拠が固まらないうちから、推論を立てる
という方法を編み出した。常時、ギリシャ棺というわけだ。
証拠がどこまで行けば完全に集まるのかは分からない。
今までの証拠で犯人が指し示されているように見えても、もうひとつ
加わることで、別の犯人が指し示されるかもしれない。
ふう。弁護士本音スレに貼ったやつが、右クリックに残ってた。
どうでもいいが、これは少なくとも鬱日記ではないぞ。