09/09/30 11:58:54 JYoCztN10
特に1990年代以降の問題の1つに、暴走する国家権力に対抗できるのは、
人権・自由・憲法なのに、「暴走する国家権力による法律・制度」が
「何らかのクレーマー的なもの」を口実に作られたため、
暴走する国家権力への不満は、
「正体不明のクレーマー的なもの」=「フェミファシズム(女性の人権)や青少年に
悪影響(弱者保護的)な主張を押してくる」=「自分の権利ばかり主張するのが悪い」
↓
「左翼が悪い、権利の主張が悪い」=「反人権・反護憲」=社会の右翼化
みたいな国家権力の暴走に不満なはずが、国民の人権・自由・憲法を否定するという
本末転倒状態が大衆層に広がったと思う。これじゃあ社会の右翼化が進むのも当然で、
国家権力の暴走しても、最大の対抗理論を放棄して、
権力の暴走がさらにやりやすい主張をしてるんだから。
そういう意味でも表現規制反対は、人権・自由を基盤にした理論でいくべきだと思う。
できれば守備範囲は、表現規制以外のおかしな規制まで自然と広がって行くように
なればいいと思う。
それがリベラルから穏健保守まで、おかしな規制への反対の層を厚くすると思う。