09/06/30 21:04:49
>>457
醍醐天皇などは子供の数が多すぎて(妃の数があまりにも多いからだけど)
いちいち感知していなかったような感じだけどね・・・
醍醐天皇の皇女普子内親王は、参議源清平と結婚しているけど、
清平は光孝天皇の孫で、臣籍降下はしてるけど皇族に近い。
光源氏だって若いころは官職が低かったし、夕霧の六位なんてさらに下だから、
普子内親王が天皇の孫に当たる参議の正室であっても不思議ではないのでは?
もっとすごいのは、普子内親王は和泉守藤原俊連と再婚していること。
こちらは藤原姓の上、皇族とは関係がない。
おそらく醍醐天皇の没後だが、皇女の再婚は夕霧と落葉宮のように私通でもよかったのか。
まあ、皇女が四人しかおらず、一人一人に目が行きとどく朱雀院と、
皇子皇女が三、四十人ぐらいいたとみられる醍醐天皇を比べても仕方ないけど。