09/05/08 20:30:47
>>901
紫式部日記で紫式部が批評をしているのは皆同僚の女房ばかり。
和泉式部や赤染衛門のことも書いてるけど、みな彰子づきの女房。
実は、清少納言は紫式部の身近にいたんじゃないかという説もあるよね。
普通に考えれば紫式部が出仕した際清少納言が仕えた定子はもう死んでいたので
清少納言はもう宮仕えを引退、紫式部と会ったことはないということになるのだけど、
定子の忘れ形見の修子内親王と敦康親王は彰子に引き取られて育てられていた関係で、
一部定子付きの女房たちが内親王ら付きとして彰子のもとにいたのではないか、という説。
同僚の批評をしている中で紫式部が一人だけ会ったこともない清少納言のことを書くのは不思議だし。
清少納言の娘馬命婦は彰子に仕えたと言われているけど、これが縁だったのかも。