09/05/01 21:03:45
>>477
輝かしい嫁の実家からのもらいものも、嫁の実家に同居してこそ。
藤原道長は源倫子と同居して倫子の両親から衣装をもらったり
邸までもらっていたけれども(土御門第)、
左大臣邸により付かなかった源氏はそんな恩恵を受けていない。
左大臣邸は本来婿である源氏の住居になるはずだが、
源氏は左大臣邸を本邸にしておらず、二条院にばかり暮らしている。
左大臣が二条院にいる源氏に衣装を送りつけてきたり
食事を送りつけてくるはずもない。
出世に関しては、源氏自身、「私は古院(桐壺帝)の思し召しで
若いころから高い位につき・・・」と桐壺帝の意向であることを述べている。
左大臣のお陰で出世できたのならば、そういうであろうに、
全く左大臣の名は出てきていない。
逆に冷泉帝の世になったときに源氏が太政大臣の座を葵の父に譲ったことならある。
息子の夕霧が左大臣邸で育っていたから恩返しの意味もあって。
不仲だった葵の没後、源氏は結構左大臣邸に顔を出している。