【フランス】ベルサイユのばら part20【革命】at RCOMIC
【フランス】ベルサイユのばら part20【革命】 - 暇つぶし2ch542:愛蔵版名無しさん
08/11/07 20:59:17
 マリー・アントワネットの最後が「勇敢で、立派」だったという噂が各地の監獄に伝わるにつれ、
獄中の王党派たちは、そのことに慰めを見出した。サント・ペラジー監獄に収監されていたグレース・
エリオットによれば、囚人たちは王妃の行動に勇気づけられ、自分の番がきたら王妃を見習いたいと
思ったという。残念ながら、哀れなデュ・バリー伯爵夫人には無理だった。(中略)人を喜ばせること
には訓練を積んでいたが、死ぬ覚悟はできていなかったのだ。
 牢獄の外では、王党派の人々がこの悲劇を受け入れようと努力していた。ポリニャック公爵夫人は
その直後に死んだ。世間では、悲しみで胸が張り裂けたといわれたが、死因は癌だったようだ。とはいえ、
苦しみで病気が進行したのはたしかだろう。夫人の娘が画家のヴィジェー・ルブラン夫人に語ったところに
よれば、国王が殺されて以来、ポリニャック夫人は病の床にふし、さらに王妃の死を聞いた途端「あの
チャーミングな顔が一変し、死相を帯びた」という。一方、ブリュッセルのアルジャントー伯メルシーは、
その悲惨な死を、かつて彼が仕えた女帝の名前と結びつけずにはいられなかった。まっさきに思い浮かべた
のはマリー・アントワネットのことではなく、「偉大なマリア・テレジアの血が断頭台の上に流れる」光景
であり、それが大きなショックだった。
 やはりブリュッセルにいたフェルセンに訃報が届いたのは10月20日だった。その後しばらく感覚が麻痺
したような状態に陥り、周囲の人々は沈黙を守ったまま心の中で同情を寄せた。彼はそれ以後の生涯ずっと、
10月16日―「この恐ろしい日」―には必ず王妃を偲ぶことにした。10月22日、彼はレディ・エリザベス・
フォスターに、マリー・アントワネットは「王妃として、女性としての模範」だったと語った。彼は理想を
心に抱いたまま、あとに残された、やさしさ、寛大さ、善良さ、あふれんばかりの愛情、感受性の豊かさ
といった王妃の美点が次から次へと蘇り、妹への手紙にあふれだした。彼は妹のソフィー宛ての手紙にこう
書いた。エレアノール・サリヴァンは、彼の心を占めるマリー・アントワネット―「彼女」―の代わりには
けっしてなれない、と。

アントニア・フレイザー「マリー・アントワネット」より抜粋


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