08/10/25 23:11:36
◆オタクに対する現在の人びとの態度は『漫画ブリッコ』1983年6月号における中森明夫によるものとほぼ変化していないように思えるが、
この見方が正しい場合、オタクは(気持ち悪いといった)外見的特徴によってのみ規定されている。
◇中森明夫および現在の人びとによるオタク規定に見かけ上は(虚構との親和性が大きいといった)趣味的特徴が含まれているが、
実際にはそうでないと言えるのは、オタクとセットで語られる虚構(作品)が虚構(作品)全体のうちの一部に恣意的に限定されているためである。
(虚構との親和性がオタクの特徴づけになるならば、歴史、その他の間主観性による産物に浸りきっている者もまたオタクであると言わねばなるまい。)
◇したがって、そうした一部の虚構(作品)にコミットメントしていないが、気持ち悪い外見的特徴
(それがどのようなものであるかは私には分からないが、おそらく分析哲学者ならばラッセルの典型性概念あるいはヴィトゲンシュタインの家族的類似概念を提示してくるのではないか)
を持つとされる、精神障害者(人格障害者を含まない)や奇形児はオタクになる。
◇しかしながら、一般に彼らはオタクとは呼ばれない。
◆したがって次のことが帰結する。オタクを攻撃している者は、オタクが何であるかを把握し得ていない。
○外見的特徴とコミュニケーション能力をセットにする議論に対して(1):
「◇したがって、そうした一部の虚構(作品)にコミットメントしていない」の部分を「◇したがって、コミュニケーション能力が標準よりも大きい」という表現に置き換えて読むべし。
○外見的特徴とコミュニケーション能力をセットにする議論に対して(2):
<外見的特徴の攻撃→コミュニケーション能力の低下>という可能性を考慮せよ。(因果的関係というよりは、相関関係であろう。いずれにせよ、左記のような結果を誘発しているのである。)