09/01/26 20:00:58 0DrNg3580
【昭和5年 昭和恐慌(失業者300余万人)】
亡き父の日記です。当時16才
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昭和七年十月二日夜
一大光明を認めし日
官史(注1)と言えば直々に普通文官を思いだす。
押しも押されぬ堂々たる判任官を志望し講義禄に勉学し受験せんとする。
世界的不景気の今日、まして農村の不況は当に筆舌に書き難き惨状を呈し
学資など得んとすも、一家の経済が許さず。
種々方法を講ぜしも、総じて不遇の内に蒙(こうむ)られ、絶望と悲観とに暮れ
希望もなく将来もない。
ただ、無意味に終日を暮らせし私であった。
併(あわ)し男子一度決心せし事は頭の何処かにかひそんでいた。
只に私は、学資無き為に無意味なる月日を送った。
親より金を貰って勉強するなれば誰にも出来る。
普通の道を歩み来りし者は普通の山に達す。
人一倍苦労して歩みし人は其処に成功という小殿堂が待って居るのである。
そうだ、自分一人にて学資を働き勉強するんだ。
苦学だ、苦学だ、して官県銀行等の給仕を望む。
そして勉強の暁には普通文官試験を突破し、憧れの官史とならんとす・・・・・
此れまでが私の職業に就いての経過だ。