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【美智子さまのご遠慮 その1】
松崎敏弥「正田家 民間から生まれた昭和の閨閥」
「別冊歴史読本 歴史を動かした連綿たる名家の血脈 天皇家と日本の名族」
1987年(昭和62年)刊行 180~185ページに掲載。以下は要点です。
正田家は、群馬県館林で、「米久」の屋号で米穀問屋を営んでいた。
川を利用して、江戸や大坂に大量の米穀を運び成功した。
浩宮さまが、大学院で「水上交通史」を研究されているのは
なかなかに興味深いことである。
1873年(明治6年)に米穀問屋を廃業してからは、醤油業をはじめ、
明治末には、「日清製粉」の基礎が築かれた。
時は流れ、美智子さまは昭和9年10月誕生、
父、英三郎さんは厳格な子育てをしたという。
昭和32年、軽井沢テニスコートで、皇太子と初めて会った。
皇太子はかねてから、
「自分は生まれ育った環境から人に対するおもいやりに欠けているところがある。
そういった点をおぎなってくれる人が望ましい」と話しており、
美智子さまは、理想の女性であり、地味で堅実な家風も好ましく思われた。