08/12/04 08:59:57 Zm22fmrr0
>>92
≪独に拉致解決のノウハウ≫
日独の要人らによる会談結果を待つ間、私はドイツ連邦議会の近くにある一群の「白い十字架」と、「スターリングラードの
聖母像」(別名「塹壕(ざんごう)の聖母像」)が飾ってあるカイザーヴィルヘルム教会を訪ねることにした。
「白い十字架」には、1961年8月13日に突然築かれた「ベルリンの壁」にまつわる逸話がある。生き別れになった
肉親に会うため、壁を越えて西側に入ろうとして東独の国境警備隊に射殺され命を落とした東独市民のために
つくられた十字架である。
89年11月9日に壁が崩壊するまで28年間、その犠牲者は何人になるのか。多数の十字架が壁のあった場所に
並べられている。この中には13歳と10歳の少年のものもある。
聖母像は、第二次世界大戦における独ソのスターリングラード攻防戦を思い起こさせる。ドイツ兵士たちは刻々と
迫りくるソ連包囲網の中、絶望的な状況にあってクリスマスを迎えた。若い軍医が、探し当てた一枚のソ連地図の裏に
物悲しげな表情を浮かべた聖母が子どもを懸命にかばっている姿を描き、塹壕の壁に張り付けた。
これを見た兵士たちは雷に打たれたように立ちすくみ十字を切り、一斉に「聖しこの夜」を口ずさんだ。間もなく、
この軍医は捕虜となり収容所で病死するのだが、この絵は無事に家族のもとに届けられ、息子の手で教会に
寄贈されることになったのだ。
第二次大戦の敗戦を6歳で迎えた私には、荒野をさまよい、命からがら満州から引き揚げた原体験がある。それだけに、
「白い十字架」も「塹壕の聖母像」もきわめて身近なものに感じられる。
そして、何のいわれもなく拉致され、ひたすら望郷の思いを募らせながら、救出を待ちわびる拉致被害者の悲痛な
心の叫びが私の当時の遠い記憶と重なり、一本の線でつながるのである。
「白い十字架」も「塹壕の聖母」も、そして拉致被害者の「ブルーリボン」も共通した人の悲しみであり、痛みである。
だからこそ、微力ながら、その解決のために手を貸していく。拉致問題の解決なくして何が日本外交かと思っているからである。
今回の日独会談もそうだった。