08/09/04 21:53:42 QoUfUAC80
>>645
心から同意。
雅子さんの生活と地位を保証し、それを守っているのは他でもない日本の国民。
しかし、雅子さんはそれに目をくれることもない。
よくここに来る雅子さん擁護の人々に言わせると、雅子さんがこうなったのは
皇室と日本人の古い体質のせいなんだそうな。そして、貧乏な庶民は文句も言うべきではないとも・・
清掃奉仕団が御所に来るようになったのは、終戦直後の昭和20年12月8日のこと。
宮城県の農村の有志たちが、焼けた皇居の後片付けをして草でも刈って
天皇さまを元気づけよう、ということで企画したもの。
物のない時代なので、天皇陛下に食べてもらおうと紅白の餅を持参しての上京。
まさか天皇陛下にあえるとは思っていなかったが、清掃作業中壊れたコンクリートの
土台を伝って陛下登場。(皇居はグチャグチャで荒れ放題。道などない状態だった)
陛下が登場されたときと同じく、コンクリートの土台を伝ってお帰りになるとき
奉仕団が「君が代」を歌いだした。陛下はその間背中を向けたまま、足を止め立っておられた。
次の皇后陛下がお出ましになった。陛下もよれよれの中折れ帽に底がまくれた
靴をはいていらしたが、皇后も古ぼけたオーバー着用。すいとん問答で盛り上がる。
奉仕団最後の夜、侍従次長が田舎に帰る奉仕団にねぎらいの言葉の後に続けて言った。
「あなた方が持ってきた餅だが、皇居では国民からいただいたものを直接口には入れない。
だから頼んでアラレにしてもらって、皇太子殿下をはじめ全員皇居に集めて
『いまどき、こういう人たちがいる』とお話になりながら食べましたからね」
と伝えられたという。
おそらく、これが天皇・皇后が一般の国民と直接触れ合った、最初の記念すべき日なのだろう。
戦後の皇室の公務の中心にある精神は、この日の出来事を契機としてはぐくまれてきた。
それは今上陛下・美智子皇后にも受け継がれ、さらに大きく花開いたけれど
現東宮夫妻のおかげで、枯れてしまうのかもしれないね。