08/08/28 22:20:41 PqpgfjD20
>>39
もともとあなたが「秩父宮は皇太弟だった。称号はないけれど」って書いたのが始まりでしょう?
んで、実際は秩父宮は、今上が生まれるまでの7年間、皇位継承順1位ではあったけれど、ただ宮であった(=文仁親王同様)。
皇太子っていうのは、あまた皇男子がいるなかで、(よほどのことがないかぎり)動かされない次期皇位継承者。
その人のために東宮職もつくられる。住まいは東宮御所となる。
今上の立太子は18歳。それまで儲君ではあっても皇太子ではなかった。
秩父宮は、今上が生まれるまで(さらに幼少期も)皇位継承順1位の親王としての務めを果たしていたと思うよ。でも皇太弟ではない。
昭和帝即位時、昭和帝は25歳、香淳皇后は23才。すでに女一宮成子内親王も生まれていて不妊ではなかった。
その後7年(この間に3内親王出産)して、今上誕生。昭和帝32才、香淳皇后30才。
男子出産の可能性はかなりあったから待てたんだろう。
一方、徳仁親王はいまだ皇太子。男子無し。現在48歳。雅子妃は44歳。
実際に男子に恵まれるかどうかは非常に微妙、ただ0ではない。雅子さんがダメでも、徳仁親王に離婚、再婚も考えられる。
徳仁さんが即位しても、文仁親王は秩父宮のようにただ宮として、ひとつひとつの公務をなしていくのだろう。
後継者のいないまま、60、70と齢を無駄に重ねていく徳仁さんと雅子さんを支えてね。
しかし、宮内庁は、悠仁親王の教育費をこのままでおくつもりはないとしている。
結局、皇統は文仁親王-悠仁親王の系統に移る。
望ましくは、秋篠宮殿下に次代の皇太弟(いっそ、機能不全の現東宮をとばして頂いてもいいのだが)として、
東宮職、東宮御所を整備してもらいたいが、そうならなくても、歴史は善いように回っていくはず。