08/09/14 16:24:08 n8W2Keee0
最後の授業は、子供の頃に読んですごく感動した。
自分の国の言葉で勉強できなくなるなんて、大変だし悲しいことだと思って、
アルメ先生の演説にも涙がたまったのを覚えている。
大人になって、実はあれはフランスの政治広告のプロパガンダ戦略だったという文章を読んだ。
もともとアルザス・ロレーヌ地方はドイツ語圏だったらしい。
フランスが一時占領していたことを隠し、またプロシアに帰っていくことに抵抗しての作品だったと
知った時のショックと来たら。
アルメ先生は、母国を思う師というより、フランスの植民地化政策の一翼を担う国粋主義者だったわけだ。
感動台無し。