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朝日新聞の中国へのおもねりが「南京大虐殺」を独り歩きさせた
●検証なしの聞き取り記事『中国の旅』が火をつけた
評論家 片岡正巳 (小学館『SAPIO』98年12月23日掲載)
『南京事件』は、東京裁判の判決後、ほとんど国民の間に話題にものぼらなかった。
ところが、1970年代になって、朝日新聞で本多勝一記者のルポ『中国の旅』が連載されて
から突如、社会的関心事として脚光を浴びることになる。
『中国の旅』は一方的聞き書き
朝日新聞と中国との関係が、そのような状況にあったとき、本多勝一記者の『中国の旅』が
登場する。
前述した中国と朝日新聞とのそれまでの関係をみていくと、結果として、この『中国の旅』は、
朝日新聞が中国との関係をさらに強化することに寄与したのではあるまいか。
『中国の旅』で本多勝一記者は「アヒルがたくさん浮いているかのように、長江の水面を
たくさんの死体が流れていた光景が、今でもはっきりとまぶたに浮かびます。どこへ行っても
空気は死臭で充満していました」という証言や、日本人将校による百人切りなど、日本軍の
惨殺の様子を10回にわたって連載している。
ところが南京における取材対象は本多氏も書くように「二日間に四人」しかいない。
一見相当数の人間から証言を集めたように見えるのだが、この4人が他の人から聞いた話や、
体験談を語っているに過ぎない。
しかも、同行した通訳は遼寧省革命委員会外事係。
中国側が用意したたった4人の取材相手に、通訳も中国側が用意した役人なのである。
これだけでも、この取材の中身について?が付きそうだが、問題はそれだけではない。
本多勝一記者の『中国の旅』の取材内容について、朝日新聞社社史には、「・・・百人以上の
生き残りの人びとから事件当時のなまなましい状況を聞きとった・・・」という記述がある。
つまり、あくまでも聞き取りでしかないのだ。
いうならば、中国側から提供された“証人”のいうことをそのまま聞いて記事にしたということ
になる。
ルポの中にある、「今の私たちがあるのも、全く毛主席と党のおかげ・・・」とか、「毛主席の恩
は天と地よりも大きく・・・」などといった“証言”もそれらの人々の言うままを記した結果なのだろう。